いのちのスープ(2)

両親と暮らした鎌倉のご自宅は、木々に囲まれ自然豊かである。
木々を通り抜けて吹く風は、それだけで贅沢な気がする。四季折々の花、果物、野菜…。

目で愉しみ、(鳥の声など)耳で愉しみ、匂いを愉しみ、収穫した果物や野菜を食して愉しむ。
こうして自然の営みと共生することから、この方は力を得ているのだろう。母、辰巳浜子が亡くなって30年という。ここで月に一度行われる料理教室には、全国から人が集まる(何年待ちとか)。
ここではスープを専門に教える。
スープ作りで一番大事なことは野菜の切り方。
人参が5ミリならじゃがいもは1センチ。同時に煮えるためには、この厚さが必要なのである。
手抜き、時短、裏技…
それを否定はしないし、大いに利用する私ではあるが、辰巳先生(いきなり先生である)の仕事は違う。
一段階一段階、綺麗でなければ清潔な味にならない、という。「清潔な味」とは…?
含蓄あるようで、具体的に考えるとわからない。
しかし、ここに辰巳先生の哲学があるのだろう。
スープに特別な思いがあるという辰巳先生。
脳梗塞になった父親が、食べ物を飲み込むのが難しくなった。
そんな父親に、先生は8年間、毎日病室にスープを届けた。
季節感溢れるスープである。

「命の瀬戸際を握る」
命がこっち向きになるか、向こうに向くか…。
スープを一匙、二匙飲んだだけで残してしまうか、飲み干すか…。この違いは大きい。
飲んだスープが「美味しい」という思いは、「生きたい」という思いに繋がるのではないだろうか?
父親のために作ったスープは「あなたのために」に書かれている。
そんな先生の元に、
「入院患者に辰巳先生のスープを飲ませたい」という高知の病院からの手紙が届く。
手紙を書いた医師は、同僚の女性保健師が末期ガンとなり、殆どものを食べられなくなった。「支える会」を作り、スープなら大丈夫かと、辰巳先生の「人参のポタージュ」を知り合いのホテルのシェフに作らせ、飲ませた。
すると…「美味しそう」と言ってから、スープを最後まで飲み干した。
「こんなスープ、飲んだことないね。…美味しいね」
これは、亡くなった保健師の夫にとっても、心の支えとなった。
そんな経緯から、高知の病院で入院患者に辰巳先生のスープを飲ませたい、ということになった。
そして、辰巳先生はこの依頼を受けた。
高知からスタッフが赴き、2日間の集中レッスンを受ける。入院患者は600人。
「よっぽど勉強してくださらないと、スープは高地に定着しない」
先生の指導が始まる。
人参のポタージュ
蒸らし炒め…

人参、玉ねぎ…を炒めながら蓋をして、また炒める。
この時、
蓋についた露(つゆ)の雫(しずく)が大事なのだという。
この雫を無駄にしない。
「ひと口でも美味しく」これは「祈り」だという。
食事を整えることは、祈りのひとつの形だと確かに、食事の前に、「いただきます」と祈る。食べ終われば「ごちそうさま」と祈る。
「食べる」ということは、厳粛な行いなのかもしれない。
そうして…高知の病院から試作した人参のポタージュスープが送られてくる。
それを飲んだ辰巳先生、
「人参が出て来ない」「別のもの」
そうして先生、電話で根気よくやり取りした後、
高知に赴くのですね。
92歳、全く凄いお方である。
人参のポタージュのレシピ→http://www.kyounoryouri.jp/recipe/2853_%E3%81%AB%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5.html