「がん」という冒険(108)

金曜祈り会である。

今日ここに、イレギュラーな▲姉妹が来られた。クリスチャンというと、一般的には穏やかで慎ましく、優しい…というようなイメージ(あくまでイメージである)があるように思うが、実際には、そんなことはない。そんなわけがない。私自身ももちろん、そのような者ではないが、ただ、イエス様を知って、多少は角がとれて丸くなったり、自分本位でなくなったように感じる。

そこで、この▲姉妹だが、実にユニークな姉妹である。以下、聖書からの引用、

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。

(ローマ5:3-5)

有名なみ言葉であるが、聖書には「忍耐」が多用される。

一に忍耐、二に忍耐……(一一")

忍耐のために試練(患難)が与えられ、途方もない試練も与えられる。もはや、

祈るしかすべがない。

という状態にも置かれる。私も…置かれてきた。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

随分前の祈り会で、▲姉妹は

「イエス様は忍耐、忍耐…と言われますが、私は忍耐は嫌いです!忍耐が練られた品性を生み出すなら、私は「練られた品性」はいりません

と祈られた。忘れられない祈りであったが、胸のすく思いもあった。エス様が望まれるのは正直な祈りである。口先だけの綺麗ごとの祈りなど、それこそ神への裏切りだろう。

何を言いたかったかというと、▲姉妹は、このような祈りをする人なのである。元々は音楽に関わる仕事をされていたが、阪神大震災で仕事も財産も失った。海外にオペラを聴きに行くような暮らしから、生活保護を受ける身に。おそろしくプライドが高く、生活保護には最後まで抵抗されていた。仕事復帰を熱望されていたが、かなわなかったらしい。病気やら引っ越しやら、噂だけは耳に入っていた。

そんな▲姉妹が、わざわざ祈り会に来られたのは、感謝の祈りのためだった。詳しい説明は避けるが、97倍の倍率だった千代田区の都営住宅への入居が決まり、引っ越されたのである。

「主がすべてを行ってくださいました。私がやったことはサインと手続きだけです。しかも、細かいところにまで配慮いただけることに、何とも言えない気持ちです。私のような…不信心な者が……と、本当にありがとうございます」

不信心…という言葉を繰り返された。▲姉妹は係累もなく、我がままから周囲の姉妹方を巻き込んできた。そんな反省もあるのだろう。

「中途半端な祈りではなく、心からすべてを捧げたとき、あなた様は大きく動いてくださり、願った以上のことをしてくださいます…」

姉妹はポロポロ泣かれていた。

 

祈り会の恵みは、こんなふうに他の姉妹に与えられた喜びを分かち合えることでもある。業界用語で「主のご栄光」というが、主が成してくださった奇跡を、ともに味わい喜ぶことができる。

私は▲姉妹の祈りに感動したのであるが、共感もした。おおいに共感したのである。

主がすべてを行ってくださいました。

私も乳がんになって、風邪もひかない私ががん患者になってしまった。がんにはなったが、私は何もしなかった。人から「闘病」と言われるたびに首をかしげたくなった。「闘病」どころか、あれほど生き生きと輝いていた時間は人生のなかでなかった気がする。私の人生には、いつも不安と虚しさがあった。

 

術後の抗がん剤治療最後の日、診察室の待合室には一組のカップルがいた。固い表情で身じろぎもせず椅子に腰かける女性と、隣に寄り添う男性は夫婦だろう。治療に通いながら、今まで何度かこのような光景を見た。ここは女性外来だから、これから乳がんか子宮がんの検査結果を聞くのだろうか?

私が検査結果を聞く日、私は一人だったし、誰かに付き添ってもらおうと思いもしなかった。

検査結果を聞く前の私の心境…を知るために、2021・11・20「がんという鍵」(1)を読み返した。おお~っと我ながら感心する。ご興味のある方は、お読みいただきたい。

なお、このブログのタイトルは「まな板の鯉」→「がんという鍵」→「がんという冒険」と変遷をたどっている。自分自身が全く先行きがわからず、果たしてブログを書き続けていけるのか?自信がなかったことを記憶している。

この日、お世話になったよしみドクターに何を言おうか、迷っていた。そして、

「初めてづくしでしたが、先生のお陰で、戸惑うことも不安になることもありませんでした。ありがとうございました。私にとっては最高の病院でした」

病院もドクターも調べたり探したりしたわけではない。自分で調べて探したところで、こんな病院やドクターに巡り合うことはなかっただろう。

主がすべてを成し遂げてくださったのである。

ドクターに点滴の針を打たれて、化学治療室(ケモ室)に移動する。ここで顔なじみになった看護師や薬剤師の方々と最後の挨拶をした。今後は半年ごとの経過観察になり、取り合えず、「がん卒業」らしい。治療を終えて、拍手でケモ室を送り出された。

 

がんの検査結果を待つ私は、

良性=◎

悪性=×

ではなかった。どちらが吉となるのか、私にはわからない。だから、主を信頼してお任せした。主を信頼できたから、お任せできた。

すべてを主の御手から受け取ることができますように。

と祈り続けた。

「がん」を通して、私はイエス様を体験できた。それを、こうしてブログとして更新し続けることができた。

主のペンとして用いられますように…。

と祈り続けてきた。

そのペンを、ここでひと度、置かせていただく。

すべてのことに感謝して。

読者の皆さま、ご愛読ありがとうございました。