いのちのスープ(3)

「食育」と言われて久しい。
料理番組は無論、バラエティや情報番組でも料理コーナーが設けられている。
誰がつけたのか「料理研究家」…。

猫も杓子も「料理研究家」を名乗っているが、私はこの名称が好きではなかった。顕微鏡で素材調べてるみたいで、「美味しそう」でない。
で、尊敬する辰巳芳子先生も「料理研究家」を名乗っておられるのだろうか?
注意してみたら、なんと、料理家。
「料理家 辰巳芳子」
お見事!!!
「料理人」だと板前やコックだし…「料理研究家」でなければ何があるのか?と考えて答えが出なかったのである。
辰巳先生、心理学者になりたかっただけあって、言葉の遣い方にこだわりがあり、しかも美しい。
その辺の料理研究家にはない教養を感じる。
更に言わせてもらえるなら、信仰や哲学を感じる。
初夏になれば青梅をもいで、梅仕事を始める。
秋の楽しみは栗拾い
待ちに待ったひんやりした秋の風が吹けば、青魚を開いて干物を作る。薄切りの牛肉を醤油と味醂で味付けして、干したり…。

お日様と風の力でどうでも美味しくなる。
のだそうだ。
12月になれば柚子を生ジャムにしたり(レモンや他の柑橘系では無理)、水に柚子の果汁を縛って柚子水として毎日飲む。手にすり込めばお肌、しっとり。
下拵えに手を尽くしたら、後は時を待つ。美味しいという喜びはおのずとやって来る。
この辰巳先生の信念は、20代半ばから15年続いた結核の療養生活から得られたものらしい。
母親から料理の手ほどきを受けながら、手応えを感じなかった若い頃。本が大好きで学者になりたいと思っていたが19歳で結婚。夫は戦死し子どもなく、戦後、心理学者になろうとした時、結核にかかり療養生活。
退院した時には40歳。療養生活では、午前中は読書が許されたが午後には許されず、ラジオを聞くくらいしかやることがなかった。
「身体がどうなるか、待ってみないとわからない」そして、
「時が来る」「すべての生き物は良くなることしか考えていない」あきらめと忍耐のなかで、そんな境地に辿り着かれたらしい。
作家の三浦綾子も、23歳から37歳という14年間を結核とカリエスで寝たきりで過ごした。(キリスト教大嫌いだったのが、入院中に入信した)「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」
(ローマ人への手紙8‐28)
「すべてのことを働かせて益とする」とは、こういうことかと思う。どちらも、この若い頃の試練が、後々の素晴らしい仕事として花を開かせたとしか思えない。
「美味しさを分かち合う」もっとも楽しいことのひとつだと辰巳先生は語る。
美味しいものを食べるのは、心をこめて日常を生きること。365日の美味しさは、薄紙を重ねていくようなもので豊かな人生のもと。

信じる力がつくり上げられ、自分の人生の手応えとなる。
心理学者になりたかったという辰巳先生。心理学者になった以上に、多くの人に「食」を通して心を育てること…を語り、実践されているのではないか?
前回紹介した「人参のポタージュ」を作ってみた。「こんなスープ、飲んだことない!」というような味にはならなかったが、子どもは予想以上に喜んだ。
「下拵えに手を尽くす」とか、とても辰巳先生の教えを実践は出来ないけれど、正しい「テキスト」として心に懸けておきたい。