哀しみのモーツァルト(1)

2008年、筑摩書房から出版された石堂淑朗著『偏屈老人の銀幕茫々』の序文は、こんな文章で締めくくられていた。
「私の文章の仕事は本書で終わりました。後は冥界で実相寺昭雄今村昌平と会うだけです」
これは……遺書である。文筆を生業とする人間の遺書だった。
石堂先生とは、娘達(双子)を出産するため、入院する際にモーツァルト(その他)のCDを贈っていただいた。(3・26ブログ「モーツァルトと石堂先生」参照)
私は全く、はい…「ショパン」を「モーツァルト」だと思い込んで聴いていたスットコドッコイなのですが、それでも、名曲の調べは魔術のように病室の空気を変え、私だけでなく、他の妊婦達の心にも響き渡り、優しく美しいベールで包み込んでくれました。
音楽ってすごい。
ただ、調べに耳を傾け、身を任せればいい。耳が不自由でない限り、それは身動きひとつなく、愉しめる。
そして…その感動から、『Women』は生まれました。
石堂先生とは、娘達が誕生してから、電話や手紙、メールなどのやりとりがあり、娘達が生後8ヶ月くらいの頃、夫と4人でご自宅を訪問しました。先生は数年前に脳梗塞で左半身付随。奥様の介護の元、リハビリをしつつ、お仕事をされていたのですが…。
次第に先生との連絡も疎遠になり、年賀状の返事もなくなり、『偏屈老人の銀幕茫々』を読むにあたり…。
一体、どうされてるのだろう…。
「『偏屈老人の銀幕茫々』読みました」と暑中見舞い出すも、やはり返信はありませんでした。
連絡したいけれど、そのきっかけも見つからず、日々を送る中で、「Women」公演が具体化し、実現する際には、是非、台本に挿入されている「モーツァルト」を先生に選んでいただきたい。お願い出来たら…と夢のように思っていました。そうして、それが、実現したわけです。そればかりか、
戯曲「Women」を先生が「近来、稀に見る傑作」と絶賛され…
(3・30ブログ「石堂淑朗 絶賛」参照)
(*^^)/。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆
これは、でも…
石堂淑朗の描く、美しい幻想。
と私には思われたのですが…。ともかく、
電話口で先生が興奮して、「嬉しい」を連発
されたことは、何より嬉しいことでした。
これは、新潮45」4月号に先生がお書きになっていたので書かせていただきますが、奥様が昨年秋、ガンで死の宣告を受けられたと。「我が家に激震が走った」(引用)
老々介護の世では、珍しくもないのでしょうが、全く、「豊かな老後」なんて、あるのかな、と思います。
そのような背景の上で、先生と「モーツァルト選曲」のやりとりが電話でなされ、そして、この日、遂に、先生が入所されている老人ホームを訪れることになりました。
先生から電話で頼まれた、
ドクダミ茶」(運動不足による便秘のため)
持参して。
そのホームは、一見ホテルのような外観で、その一室に先生はおいでになりました。
クラシック聴くための音響設備とパソコン。書斎のような一室。
そこで…私は、生涯、忘れられない経験をすることになりました。