「がん」という冒険(106)
男(女)運があるとかないとか、金運、強運、晴れ男(女)に雨男(女)…。くじ運に勝負運…。
何が言いたいのかというと、良いにつけ悪いにつけ、一人の人間について回る運(ツキ)のようなものがあるのではないか?
本人の努力や心がけとは無縁の、敷かれたパターンのようなものを人生に感じることはないだろうか?
私の場合、
普通の人が経験するような苦労や労苦には、あまり縁がない。
パターンから外れるのである。たとえば、
双子を妊娠したにもかかわらず、
つわりなし。
お腹小さめ。
当時、検索したのだが、双子の場合はつわりも倍大変で、お腹も歩くのに自分の足が見えなくなるほどだと。…恐れたものである。
出産は帝王切開(その病院では双子は帝王切開)だったから、「産みの苦しみ」も知らない。妊娠してからは、楽なものであった。
というのも、
妊娠するまでが、ものすごく大変だった。どれくらい大変だったかは読者に想像していただくしかないが、「不妊界」をさ迷ったのである。
結局、体外受精で妊娠したのだが、子宮に戻せた卵子は1個。体外受精の場合、複数の卵子を戻すために多胎妊娠が多くなるのだが、私の場合には戻せたのは1個だけ。それがなんと、分裂して双子、つまり一卵性双生児を妊娠した。同じ病院で出産した双子は、二卵性双生児ばかりだった。これもパターンから外れたと言えるだろう。どうやら私の人生は、
パターンから外れるというパターンを踏む。
傾向にあるらしい。
どうでもいいことを書き連ねたが、要するに、
乳がんになってからも、私は乳がん患者のパターンを大きく外れたのだと思う。もちろん、良い意味で。
長きにわたり更新したこのブログも、がんの治療を終えてしまった。本当に初めて尽くしで「がんという冒険」であった。冒険は素晴らしいこと尽くしで、こんなふうに終えられるとは思いもしなかった。ブログというかたちでなければ、支えてくださる読者がいなければ続かなかったし、日記ではとてもこれだけのことは書けなかった。貴重な記録である。
始まりがあれば終わりがある。感謝しながら更新したブログだからこそ、しっかりとピリオドを打ちたい。万感こみ上げる思いがなくもない(ToT)/
そんなわけで、ブログのエンディングに向けて気持ちを整えています。もうしばらく、お付き合いください<m(__)m>