神の仕事(3)
料理をしながら思う。
肉、魚、野菜、果物……。
それぞれに無数の種類があり、
それぞれに違った味わいがあり、うまみがあり、香りや食感、栄養価も違う。
「自然の恵み」という。
まさに「恵み」である。
例えば、我々が毎日のように食する卵。
この卵、ひとつ手に取っても、
その完成度の高さ、奇跡のような見事さに、感動するべきではなかろうか。
1パック(10個入り)100円とか200円とかで入手出来てよいものか?(ありがたみがない)
その他、食材を料理しながらしみじみと思う。
肉も魚も野菜も果物も……美しい。(鮮度が落ちると美しくなくなる)
「絵になる」のである。
これらを(労することなく)あたりまえのようにいただけるのは、感謝なことだと思う。そんなわけで、
「いただきます」
と、心をこめて感謝する。
聖書には、このようにある。
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」
(「ローマ人への手紙 1‐20)
弁解の余地のない「彼ら」とは、神を信じない未信者を指すのだが、「自然=被造物」に着目すれば、その恵みと豊かさに、「創造主」を無視することは出来ないのではなかろうか?
このように、美味しく、栄養に富み、美しい……ものが、誰の意志(力)でもなく「勝手に出来た」と思えるものだろうか???
花瓶に生けてあった、固い百合の蕾が開いた。