「コスモスの花のように」(2)

苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇119‐71)

わが子よ。
主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。
(へブル人への手紙12—5、6)

「かわいい子には旅をさせよ」「若い時の苦労は買ってでもせよ」「艱難(かんなん)汝(なんじ)を珠(たま)にす」――と日本でも言われるが、聖書に書かれているのは、これと近いような気がする。
「愛のムチ」…と言うのか?神の愛とは、試練や苦しみ、悲しみ…だったりする。「忍耐」を要求される。忍耐するなかで、我々は磨かれ、聖められ、神の姿に近くなるのだとか…。

懲らしめながら、神は救いの道を用意し、癒してくださるのである。
どうにもならない問題を、見事に、解決してくださるのである。それを何度も経験して、その経験の蓄積が主への「信頼」となる。
理屈ではなく、生きて働かれるイエス様を知る、イエス・キリストを経験的に知るのである。
前置きばかりが長くなった。著者である高原剛一郎氏は、1960年生まれ。10年間の商社勤務の後、キリスト伝道者となり、東住吉キリスト集会(大阪)責任者の一人。ラジオ関西「聖書と福音」にてメッセージを担当。福音メッセージで各地、各国を忙しく飛び回る。知性、行動力、ユーモア、神への情熱にあふれた人物である。メッセージは、YouTubeで視聴可。

高原兄弟の妻、智恵美姉妹は2009年7月16日に「第4ステージの末期がん、余命三ヶ月、(抗がん剤治療して)長くて半年」の宣告を受ける。私たち、キリスト者は、あらゆることをイエス様から受け取る。ありがたいこともそうでないことも、すべて。
高原夫婦は、この宣告にあって、二人で祈った。祈る前に、高原兄弟が、
「何を祈ってほしい?」
と聞くと、智恵美姉妹は、
「願わくは癒されるように。そして何より神様の栄光が現れますように」
――――なかなかに、凄い。癒されますように、とは、ガンが治りますように。それ以上に、このガンを通して、主がいかに凄い、素晴らしい方であるかを、現わしてくださるように…。
夫婦の間には十代の子どもが三人(二男一女)、しかも、三人とも受験だという。
そして、夫婦仲はすこぶる良い。
普通に考えれば、末期がんなど受け入れられないし、呆然自失…ではあるまいか?まして、妻として母として、愛する夫、最愛の子どもが三人もいて、
死ねるわけがない。
のではなかろうか…?信仰があったとしても、信仰が揺らぎかねない。ところが…「これは主から賜ったもの、という感じがするの。恵み深いイエス様が私たちにくださった恵みだと」「どんな恵み?」
「まずがんにかかったのがあなたではなかったという恵み。(略)あなたのための病かもしれないって思う。この病気は今までで一番深刻だけど、それは今までで一番素晴らしくあなたが変えられていくためかもしれない(略)」
なんかもう…既に人間を超越しているような。
この時点で、智恵美姉妹より高原兄弟の方が動転している。
このタイミングで智恵美姉妹が神に取り去られる(死ぬ)意味がどうしてもわからなかったと。なので、智恵美姉妹が取り去られることが神の御心だとはとても思えない。
なので、主に祈りを禁じられるまでは、
「癒してください」(治してください)
と祈っていこうと思う。そして、高原家は、三人の子どもたちもイエス様を信じるクリスチャンファミリー。
週末の家庭礼拝で、母親の末期がんを子どもたちに告げる。
みんな泣いた。
冷静なのは母、智恵美姉妹だけで、
「…でも主が栄光を現わしてくださるということも本当のこと。みんなには主イエス様がついているんだからしっかり立ってくださいね。(略)問題は見つめすぎると、問題に飲み込まれてしまうの。私たちが見つめるのは主ですからね」
――――そしてこの毅然とした姿勢は、末期がんの苦しみ、絶望…のなかにあっても、微動だにしなかった。それを、高原兄弟も子どもたちも、主から受け取ることができたのではないか。
正直…私には「壮絶」「凄い」としか言えないのである。
(智恵美姉妹が)呼吸するのも苦しいような状態で、
「礼拝に行きたい」
「――――――――――――――――」(私は起きられないだけで礼拝休む)
そして、高原兄弟も、智恵美姉妹も、子どもたちも…
最後の最後まで、
主が「癒してくださる(治してくださる)」ことを期待していたのだが、
智恵美姉妹は2009年9月22日、天に召された。