「神のことばは永遠に立つ」

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」
イザヤ書40−8)
去年の8月から、聖書を最初から毎日、1章ずつ読んでいる。わかってもわからなくても、とにかく読み進み、最近、上のみことばに出会った。感動して「みことばノート」に書き込む。
「神のことばは永遠に立つ」
唸ったのである。
2000年前からあるこの聖書、永遠のベストセラーと言われる。時が流れ時代は変わり、諸行無常の響きなり…不変不動のものなどないような気がするが、確かに聖書のことばはいつの世にも古びない。それは「真理」だから、と教えられた。
思えば、「ことば」というのは不思議だ。目で読み、耳で聞き、口で話し、頭で考えることはできるが、物体として存在するわけではない。物体としての「林檎」はひとつだが、ことばによる「林檎」は無限にある。アダムが食べた林檎もあれば、セザンヌの描く林檎だってある。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」ヨハネ福音書1−1)
「ことばは神であった」――なるほどそうか…。理解できなくとも妙に納得させられる。
「聖書」のことばが、聖書という書物から抜け出し、どれだけの働きをしてきたことか…?「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました」
エレミヤ書15‐16)
「ことば」を食べるのである。食べて…元気になるのである。
そんな、聖書のことば(メッセージ)を、「永遠に立つ」神のことばを、コツコツと伝えて行きたいと思う。
そんな思いから、
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たち神のことばは永遠に立つ」
のみことばを、新しい名刺の裏に刷ることにした。
背筋が伸びる思いがする。(しょうむないこと、書いたらあかんで)
そうなると、
「セレブ妻の冒険日記」というブログタイトルが…どうにもそぐわず…。「Into the woods 森の中へ」
と改題させていただく運びとなった。
ちなみに、「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たち神のことばは永遠に立つ」を名刺の裏に刷ることは、桂先生には(予想通り)反対された。