十字架の意味(2)

クリスマス(Christmas)の主役は、文字通り、イエス・キリスト(Christ)なのだが、日本においては、イエス・キリストは全く無視される。ものの見事に。住宅街にも、華々しいイルミネーションを飾る家があるが、そういう家は、クリスマスリースやクリスマスツリーを飾り立て、クリスマスのご馳走にクリスマスケーキを食べて、盛大に祝うのだろう。
クリスマスの…何を祝うのだろう?
日本のクリスマスは、やたら派手で賑やかで…お祭り騒ぎである。25日が過ぎると、さっさとクリスマスツリーを片付けて、お正月準備。欧米では、11月半ばからクリスマス準備を始め、1月になってもクリスマスツリーを飾っている家が多いという。クリスマスは家族で過ごすのが基本。店も閉まっているところが多いらしい。クリスマスは、イエス・キリストの降誕を祝う、大切な日なのである。
クリスマスカラーと言われる赤と緑の意味をご存じだろうか?赤は、イエス・キリストが十字架について流した血潮、緑は平和、永遠…を表す。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」(ヨハネ福音書3章16節)
聖書の福音(good news)の神髄を表し、「小聖書」とも呼ばれる有名な聖句である。ここにある「神のひとり子」がイエス・キリスト。つまり、イエス・キリストは、人のかたちをしてこの世に遣わされた神(神の子は神)なのである。なぜ、神であるイエスが、わざわざヨセフとマリアの息子としてこの世に生まれたのかといえば、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つため」であった。
聖書では、人間が生まれ持っている、自己中心や傲慢、情欲、神などいないという不信仰……を罪だと言う。
つまり、人間はすべて「罪人」であり、その罪ゆえに、永遠の滅び(=死)を免れない者であった。
神の子であるイエスが十字架に釘付けにされたのは、人間の罪を身代わりとなって償(つぐな)うため、人間が永遠の滅びに堕ちるところを救い上げ、永遠の命へと変えるためであった。
イエス・キリストが「救い主」と呼ばれる由縁(ゆえん)である。