死の問題の解決(4)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」
(伝道者の書3章1節)振り返ってみれば、近所の礼拝に通い出したのと、仕事場を借りて生活始めたのと、ブログを始めた時期が…
殆ど同時期に起きた。前触れもなく、10日間くらいの間に起きている。この3つのことは私の人生の中でもかなりな変革であり、(ブログを始めた私は「山が動いた」と言っている)
それが人生の中の10日間に起こったというのは、何とも不思議である。
聖書を読むようになって、
神のご計画
というものを知った。
ブログを始めたのはイエス様を知るより数日早かった。
そんなブログでこうして、イエス様のことを真面目に書いている自分を思うと、
神のご計画
なのか…と納得する。仕事部屋もブログも…懸案事項であり、長く悶々としていたが、
礼拝に通い出したのは、まるで想定外だった。
礼拝に通い出し、バイブルスタディが抜群に面白かったのも不思議だ。
「見えていても見ない」「聞こえていても聞かない」
ということが聖書に書かれてあるが、この礼拝を通して、
私の心の目と耳が開かれた
のかと思う。
聖書との出会い。
聖書=神
当時、娘達は小学校の低学年だったが、幼稚園の頃から、死を恐れていた。
私の寝顔を見ながら、
「死んだかと思って泣いた」
とも言われたし、
「死にたくない!」
と言われた。
「死にたくない!」
と言われて、何も答えられなかった。
「寝るの大好き」娘達が、何故か私の礼拝通いについて来て、聖書を読むようになり、「死にたくない!」と言わなくなった。
神の存在を知って、死の恐怖を感じなくなったのだろう。
「どうしたら神様と話せるの?」
と言って、泣かれたことはあった。
私も…死の恐怖を感じなくなった。主イエスを信じる者は、永遠の命を得る。
と聖書にはある。
しかし、
簡単に信じられたら苦労せんやろ。ただ、
信じたい。信じさせてください
とは祈っていた。
それ以外に救いはなかった。
聖書と出会い、イエス様を教えられた教会であったが、私は1年足らずでここを出ることになる。全く、晴天の霹靂だった。
これも…神のご計画だったのだと、今は思う。
この経緯については過去のブログに綴っている。
http://d.hatena.ne.jp/rennren/20110220#1298210804