主のご栄光(1)

娘達と2泊3日で北海道へ行って来た。せっかくの夏休み、子どもサービスである。
北海道の大自然に感動し、旭山動物園の…というようなことを書くつもりはない。元々引きこもり体質で旅行も好きではない。
旅行会社に行って、準備も色々あり…私にとっては大仕事であった。
祈った。
必要な準備が整えられ、旅行を通して主が豊かに働いてくださり、ご栄光を現してくださいますように…危険なこと、トラブルなどから守られますように…思い出に残る旅行となりますように…旅行中にも考えた。
「ご栄光を現してくださる」とは、例えばどのようなことだろう。
ここで押さえておきたいのは、イエス・キリストを救い主と信じる信仰は「ご利益信仰」ではない。ラッキー、ラッキー〜とは行かないのである。
「どうして、こんなことが???」という目にも遭い、一筋縄にはいかない。
逆に言うなら、
この世に氾濫する占いや偶像崇拝「ご利益信仰」である。
ラッキー、ラッキー、ハッピー〜でわかりやすい。旅行には聖書も讃美歌集も持参して、(日常通り)寝る前に娘達と聖書も読み、讃美した。
旅行中に考えたのだが、
(旅行中には)ご利益信仰の方がええなぁ。主のご栄光と言っても、九死に一生を得る…なんてことにはならないでほしい。
旅行中、娘が失くしたデジカメが見つかれば感謝し、
「こんな見事な晴天が続いたことは本当にラッキー」とバスガイドさんが言えば、感謝した。ホテルも食事も、感謝というほどのこともなかったが、中でも、パンフレットにあった「花火」が、
100均の花火セットをホテル前で添乗員立ち合いの元にやる。というのは、興ざめ…というか、
誇大広告ではないか、と思った。そんなこんなで、娘達との北海道旅行はこんなもんかな…?レベルで終わりを告げようとしていたのが、
最後の最後に、ご栄光が現された。
帰りの新千歳発ANA82便、20時30分発が大幅に遅れ、22時の出発。
航空会社から、お詫び金の1000円と遅延のためにかかった交通費や宿泊費の請求書類の封筒を渡される。搭乗の際には、万が一のことも考えた。
娘達も一緒なら、思い残すことはないか?(行先は天国だし)
万が一のことは起こらず、羽田に着いたものの…24時やんけ。の上、荷物の引き取りもあり…荷物引き取ると、取り敢えず走る。
羽田なんて皆目わからない。
「電車で帰りたいんですけど」立ってた駅員に聞いたら、羽田発の電車は終わってるけど、国際線ターミナルならまだあるかもしれない。
深夜バスで国際線ターミナルまで行けば、と言われる。何やら頼りない。
深夜バス乗り場でバス関係者に聞いても電車のことはわからない、と言われる。
タクシーの行列もあったが、タクシーにも乗り慣れない私、お金はもってたし、かかった料金はANAに請求すればいいのだが、何だか気が引けた。12時18分、最終の蒲田駅行のバスに乗る。
帰りが遅いので心配した夫から電話。事情を話し、取り敢えず、蒲田駅行のバスに乗ると告げる。(本人は車を運転しない)蒲田駅で始発待つか、ホテル(ラブホテル?)に泊まるしかないだろう、こっちで探そうか?」
と言うので、蒲田駅ついてから電話すると返した。もうちょっと、何か対策ないのかよ、と不満であった。電車の路線図など全くわからない。
ただ、「蒲田」なら何やら繋がっていそうな気もした。
駅員の言った「国際線ターミナル」は降りなかった。中学生の娘達と「始発待ち」は無理。3人でラブホテル???
なんてことでしょう…。と思っていたら、娘A(Bはゲームしてる)が、「2泊3日が3泊4日になったね」
などと言って笑う。
「私、こういうの好きだよ」
北海道の帰り、深夜のバスで何と頼もしい娘の言葉であったことか。終点、蒲田駅に着いたのが午前1時近く。まだ駅の灯りは灯っていて、とにかく駆け出す。JRの案内に駆け込み、「横浜まで行きたいんですけど」と言うと、
「最終の桜木町行がある」
と言う。「横浜」はそのひとつ手前である。しかしもう、時間がない。私は旅行のために財布を替えてPASMOを忘れて来ていた。
事情を話すと、駅員の方で切符の代替を作ってくれそうな気配があったが、
「切符を買って来てください。電車は止めます
おお〜っ!これぞ、主のご栄光ではあるまいか?
深夜バスの中でも祈っていたが、蒲田のホテルに3人で泊まるのが主のみこころなら仕方ない。と半ば、諦めていた。
ホテルで思いもかけない経験が出来るのかも…とか。しかし、私達は蒲田から最終の京浜東北線に乗って横浜に着き、タクシーで帰宅した。午前2時であった。
「お腹が減った」と言う娘達にラーメンを作った。
我が家に帰り着いた安堵感。思えば、羽田から最短ルートで帰宅出来たのではないか。何事もなく新千歳から羽田に着いて帰宅したのでは、何の感慨もなかった。
寝たのは午前5時で日曜礼拝であった。
礼拝に行った。