お年玉(2)

昭和一桁、一匹狼で叩き上げ、倒れるまで大阪で仕事していた父です。周りから、

化け物。
と言われていたそうな。

はっきり言って、
世の中、金ですわ。
の人でした。
3年前にくも膜下出血で倒れ、7時間に及ぶ大手術の翌朝(月曜)、看護師さんに「確定申告」「入金」…など言ったらしく
入金の額が大きかったので、病院から弟の携帯に電話が入り(普通、このようなことはしないそうです)
父はベッドの上から、銀行の担当とやり取りしたそうです。
まるで、映画やんけ。
やっぱり、あの人は化け物や。
と兄が言いました。でも、結局、
エス様なんだな。
と思います。
父が倒れたのも日曜で、これが平日だったら弟は出勤していたわけで、(母はほとんど自分の部屋から出ないので)父が発見された時には「冷たくなっていた」わけです。
なにせ、「父がイエス様と出会えますように」と祈っていて、
どうしたら(父が)イエス様に出会えるんやろ。

と心配もしていました。
父は、

自分が神。
のような人でしたので、
砕かれる。
ことが必要でした。そうしたら見事に、
砕かれた。
わけです。
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17)
「寝たきりになるくらいやったら、死んだ方がましや」と五十代の頃に言っていました。その分、健康には気を遣い、無理はしませんでした。
「お父さん、楽して儲けんのが好きやねん」
口癖でしたから。それが…
一番なりたくなかった姿で死を迎える。
主は(父に)ここまでなさるのか。
と思いました。でも、
ここまでやらなければ、父は神を受け入れなかった。と思うことができました。
12月31日、星野富弘さんの本を読みながら、星野さんの心情に、
「その通りや」「ほんまにそう思う」と言って、
1月2日には、「神様はいる」と言いました。そう言った父の表情が、とても穏やかなのです。くも膜下出血から退院して自宅に帰った頃には、こんな穏やかさはありませんでした。
これを弟に言ったら、
「洗脳したんちゃうん」
兄に言えば、
「ふうん」みたいな…。

そして1月4日、「命よりたいせつなもの」を父と読みました。
「確かに、けがをして大変な思いをしました。人にもずいぶん迷惑をかけました。でも、何も起きずに順調に生きている自分を想像すると恐ろしくなります。教師としても、人間としても、何も知ってはいなかったからです」(「いのちより大切なもの」)
ここで、父は、
「ほんまにその通りや」
「お父さん、倒れたことに感謝してんの?神様、ありがとう、って思うの?」
「思う」
「どうして、そう思うの?」「何もでけへんようになったから」
とうとう父は、完全に砕かれて、ギブアップしたのでした。(兄と弟を説得させるため、この日のやり取りはICレコーダーに録音)
父の口から、
「生かされてる」
という言葉が出て、
「せやで、神様が一番ええ時に迎えに来てくれはるから、それを待ってたらええねん。楽なもんや」と言うことが出来ました。
そして別れ際、「これ(「いのちより大切なもの」)置いて行こか?」
と聞くと頷いたので、「K(弟)に読んでもらう?」頷きます。
「ほんなら、『読んで』って頼みや」
頷きました。
こうして、弟にも福音が伝わればいいな、と思います。
最後に、父が「そう思う」と言った、みことばです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
(第2コリント4:18)
父が「死ぬの待ってるだけ」と言ったのも、神様のお迎えを待っている、という意味だったようです。