主のご栄光(4)

私は4人兄弟の一人娘だったので、父からは甘やかされた。
東京の大学で一人暮らし。
「アルバイトさせるために東京へやったんと違う!」
とバイトも禁止された。
休みに帰省する度、父のテリトリーである大阪心斎橋で買い物をした。安物嫌いの父。かと言って、ブランド好きとも違う。
自分の目で納得したものを買ってくれた。それは、若い小娘の好みに合うかと言えばそうとはならず、
私が「これは?」というものは殆ど、「あかん」
父の好む「オーソドックス」なるものは、小娘にはピンと来ない。
双方、なかなかに疲れたものである。今からすれば、父が、きちんとした良家の子女風の恰好
を我が娘にさせたかったのだなぁ。
とわかる。
目立ったデザイン、色柄ではないものの、上質で飽きが来ない。
流行に関係なく、長く着られる。
良家ではないから、良家への憧れがあったのだろう。
つまり、
ええとこの娘でないから、ええとこの娘に見せたかってんな。
そんな父の思いが、今はわかる。
「アルバイトさせるために東京へやったんと違う!」は正論だと思うし、帰省の度に娘と心斎橋に買い物に行くなど、やろうとして出来ることではない。
甲斐性のある父。これは認めざるを得ない。有り難いかどうかは別として、大したものだ。とは思う。
そんなわけで、親の年に近くなって、わかったことは色々ある。しかし、
甲斐性があるからと言って、「尊敬」出来る父であった、とは言わない。
生まれ変わっても、この人の娘に生まれたいとは思わない。(どちらかと言えば、生まれたくない汗)
しかし、
この人なりに、この人の愛し方で、
私を愛してくれたのだなぁ。
というのはわかってきて、それは、素直に感謝したいと思う。前置きが異常に長くなって、続きは次回に…と行きたいところだが、それは詐欺のようだと思うので、書かせていただく。そういう、甲斐性のある父(というのは、なかなかいないものだということも、わかってきた)が突然、倒れて、以来、自由に動くことがままならなくなった。
私に信仰がなければ、それは、絶望的であったが、信仰があったので、恵みとなった。父が主、イエス様と出会うためには、「砕かれる=絶望」以外になかった、のである。
父が砕かれたお陰で、一緒に聖書を読み、イエス様の話をすることが出来た。
しかし…。
弱められた父は気力を失い、昼間は寝て、食事も満足に取れない(半流動食)。
まるで「抜け殻」…
それはないでしょう〜!
と文句を言った私に、主は答えてくださった。
レンタカーを借り、車椅子の父を乗せて兄弟で大阪に向かった。
(父を外出させたいというのは、父の世話をしている末弟の思いであった)また、父が大阪に持つ「不動産」を見ることで、少しでも気力を回復してもらいたい…という思いであった。
父に意向を尋ねると、「それが一番ええ考えやと思う」とのってきた。
そうして…(施設の食堂でさえ寝ていた父が)大阪に着くまでの道中、父は車の中で一睡もせず。
大阪(不動産=駐車場)に着き、私が父に(とろみのついた)お茶を飲ませようとしたら、満車の駐車場を見た父が、
「お茶飲むより、金儲けが大事や!」
あまりのことに、一同、喜ぶより驚きであった。
まさに、父はそういう人であった。
弟が車椅子を押し、兄が父の甲斐性を褒め上げると、父はガッツポーズ!
食事はせずにソフトクリームを食べて帰る。施設に帰ってから、父は開口一番、「疲れたけど良かった」と…。(金の不自由はなくとも)身体が不自由になり、すべてをあきらめたような父であった。
身体の能力が弱まり…気力も失われていた。それが、
自ら築き上げた不動産を見ることで、気力が蘇った。「お父さんスイッチ」
が入ったのである。
帰りの車中でも父は眠らず、施設のベッドでも疲れているはずなのに眠ろうともしない。
前日は私が父の好物の菓子をもって見舞ったのだが、「美味しい?」と聞いても答えようともしなかった。
それが、金にまつわることを話し出して、
「本物の金持ちは表に出ない」
などと言い出した。
抜け殻状態から、いきなり脈打ち、血が流れ出したような…。
「お父さんスイッチ全開」である。
私の心情は…複雑であった。