ママ友との立ち話

近所でよく会う人っていませんか?
近所だから、会っても不思議じゃないけど、同じ時間帯でも、同じ場所でもないのに、
何故かよく会う。
別に、お互い、暇で近所をぶらついてるわけでもないのに。
そんなママ友と、先日もスーパーで会い、ちょっと立ち話しました。
娘達が同じ小学校で、彼女はフィリピン人なのですね。仕事でフィリピンに来た日本人男性と恋に落ち、国際結婚。
小麦色の肌にストレートなロングヘア。スレンダーボディでなかなかなセクシー(笑)ママです。
子ども達集めて英語教えたり、一人娘の誕生日には、クラスの女子、全員をお誕生会に招待するという、やり手ママ。
実は彼女から、旦那様とのことで相談を受けたことがあり、私が仕事場として借りてる部屋に間借りしたいと言うのですね。
旦那様が、「仕事仕事で私にかまってくれないの」
…それが悩みですか???
仕事仕事で、娘のことも可愛がらないのか、と聞けば、「ものすごく可愛がる」
仕事熱心で子どもを可愛がって、「何が不満やねん!」と思えば、
欲求不満=セックスレス
ということのようです。
お国柄…なのでしょうか?
現地フィリピンでは、セックスレスになるほど仕事熱心な夫はいないのでしょうか…?
そうかもしれない。日本は異常かも。
故郷を離れて、単身日本。娘が生まれたにせよ、寂しいかもしれません。
勿論、仕事場のシェアは断りました。
その後、会う度に「旦那さんとはどう?」などと聞くわけですね。
そして、この日も何気に聞けば、
「まぁ、新しい出会いがあれば…ね?」
新しい出会いって…?
スーパーで長話するわけにもいかず、
「すごく、しっかりしてるように見えるけど」
と言えば、
「しっかりしてるように見える?」
と聞き返され、頷くと、
「そんなふうに見えても…壊れてる」
壊れてる…とは、聞き捨てならない。
でも、ここで、「人生相談」にのるわけにもいかず、
「私はどんなふうに見える?」
と聞けば、
「何も考えてないように見える」
何も考えてない=バカ
ですか???
まぁ、(聖書的には、人は「自分中心」に物事を考える、それは「悪=罪」なので)何も考えないようにはしているのですが、もう少し、
「落ち着いてる」
とか、
「大抵のことには動じない」
みたいなことを、言って欲しかったような…。
でも、本当に人は、「考える」から、不安になったり心配するのであって、それをすべて、イエス様にお任せして、
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩篇37章5節)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」
(第Ⅰペテロ5章7節)
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる」
詩篇55章22節)
不安になること、心配や思い煩うこと…は不信仰だと、教わっています。
神を信頼してお任せしてれば、すべて良きにはからってくださるというのです。
「心配」しても、何もいいことないよね?だったら、心配するだけムダと思うようにしています。
私が、「何も考えてないように見える」としたら、結構なこと。
「何も考えない」って…難しいことです。
このママ友がクリスチャンだというのは知っていたので、
「礼拝行ってる?」
と聞いたら、首を振りました。
「礼拝なんて行かなくて大丈夫」
まぁ…イエス様としっかり繋がっていれば…大丈夫かもしれません。
沈黙した私に彼女が言いました。
「悪いことしなけりゃいいのよ」
「―――――」
それで別れました。
彼女の言う「悪いこと」って…。
聖書で言う「悪いこと=罪」とは違うような。
聖書では、
「バカ」とか「アホ」とか口にするだけでも、異性に対して情欲をもつ(行動には出ない)ことさえ、「悪=罪」なのです。
調べてみたら、フィリピンはアジアで唯一のキリスト教国であり、90%がカソリックだそうです。
カソリックは聖書読まないとか聞いています。
礼拝に行かず、「悪いことしなけりゃいい」がカソリックなんでしょうか?
ちなみに、日本のクリスチャン人口は1%と言われていますが、その中には、
日曜の礼拝に行ってればクリスチャン。
的な「サンデークリスチャン」も多いようで…。
カソリックと言えば…初めての知り合いかも。
今度彼女に会ったら、カソリックについて、ちょっと聞いてみようと思います。