「明日の心配は無用です」

先日、横浜の地下街を歩いたら…
クリスマスソングに乗って、有名どころの菓子(ケーキ)屋がショーケースに華やかなクリスマスケーキを陳列して、何店も出店していた。
クリスマスケーキ
クリスマスプレゼント
もはや誰も、それに疑問を抱かないけれど…

若者にとって、「クリスマス」は特別な日なのだろうけれど…しみじみと思う。
メリークリスマスって何?
何がめでたいの?
それがわかって、盛り上がってんの?
このブログを読んでくださる奇特な読者にだけは、知ってほしい。
「Christmas」とは、「Christ」「mas」
「キリスト」「ミサ」
であり、
エスキリストを礼拝することなのである。
サンタクロースなど何の関係もない。
クリスチャン人口1%に満たないと言われる日本では、
クリスマスはただの偶像である。
そんな私でさえ、(娘達のために)クリスマスケーキを買いそうになった。
おそろしい…。
24日の礼拝。
23日は子どものためのクリスマス会があり、朝から駆り出されていたので、眠かった。
そんな私の目を覚まさせたのは…。
K姉妹(姉妹=女性信者)の讃美…子どものように口を大きく開けて、歌っている。
K姉妹は今月、夫を亡くされたばかり。
夫のK兄弟(兄弟=男性信者)は毎週、礼拝でお会いした。
このご夫婦、ともに60代で、
喧嘩したことがない
らしい。全く、夫婦喧嘩した時間とエネルギーを思うと羨ましい以上に、
妬ましい。
のだが…そんな愛する夫を亡くした哀しみは…
と思う。
K兄弟はガンで、6月を最後に礼拝にも出られなくなっていた。
夫婦の間には2人のお子さんがいる。
納棺の時のK姉妹の挨拶、「すべてが最善でした」
病院に入らず、自宅で、家族で看ることが出来た。
「後、十年なんて言われたら…もたなかった」
と苦笑。そして、
「…大丈夫ですよ」
これは、参列した我々に向けたメッセージのようだった。
最愛の人が亡くなっても、大丈夫。
主が守り、支えてくださる…ということなのか?
とにかく、K姉妹は穏やかで、普通で、自然だった。「今は気が張ってて、こうしてられるだけかもしれませんけど」
と言われて、2週間以上経った。
礼拝に出て、子どものように大きな口を開けて讃美歌歌うK姉妹…
守られてる…ような気がする
と…。
最愛の夫との死別と、直に向き合ったのではたまらない。
そこに主が、居て下さるらしい。
不思議
と姉妹は言われた。
夫の死を嘆き悲しむことなく、こうしていられることが不思議なのだろう。
明日のことはわからないけど
今はこうしてられても、明日のことはわからない…。
正直な気持ちだろう。
聖書にある。
明日の心配は無用です。
労苦は、その日その日に十分あります。
明日の心配などしなくていい。思えば、明日のことなど何もわからない。
死んでいるかもしれない。その日を精一杯、十分に生きる。
私など、明日どころか…先々の心配ばかりしている。
それは逆に言えば、「今日」を生きていない。
おろそかにしているのである。