救急車で運ばれる。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」
…に始まる有名な聖句。
「伝道者の書」3章1節から始まり、
「捜すのに時があり、失うのに時がある」「引き裂くに時があり、縫い合わせるのに時がある」
などなど…。そして、
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
で、この度の娘達の受験も、11月という、受験シーズン追い込みの時期になって、
いきなり来た。(私は受験させる気なかったのに、させることになってしまった)
んですけど、これも「主の時」(最善の時)だったのかなぁ、と思います。
何にせよ、すべてを主の御手から受け取る(神が私のためになさったことと受け取る)と、平安です。
次々と不思議なことが起こされて、つい先週は、
生まれて初めて、救急車で運ばれてしまったんです。
それも、
受験第一志望校面接日の前日に。
はい、その日は午前中から「祈り会」というものがあって、信者同志が集まって、みんなして祈り合うのですね。
私、用が入っていて、本来ならお休みするのですが、「面接日」のことを祈っていただきたいと思い、祈ってすぐに帰ろう、と自転車で駅に向かったのです。
そしたら駅前で、
突然、動悸と眩暈におそわれ…
ちゃうちゃう。
乗用車に衝突
…したわけでもなく、
急に路地から出てきたお年寄りを避けようとして、電柱にぶつかり
…というのでもなく、
一人でバランスを崩して転倒してしまったのですね。
バランス悪いのは元々だし、転倒するのも珍しくはないけど、
頭を打ってアスファルトに血が滲み、行きずりの人が寄って来て…。
これなに。
意識ははっきりしているものの、まるで現実感なし。(テレビ見てるような)
不思議と痛みはなくて、私、行こうとしたら、
「歩けるような状態じゃないわよ」
救急車を呼ばれ、自転車も親切な人が駐車場に移動させてくれ、鍵を手渡されました。
祈り会に行こうとして、救急車ですか?イエス様。
明日は受験面接ですよ。
救急車に乗り込み、救急隊員の指示やら説明を聞き、いざ病院…。
冗談でしょ。
このまま、明日の面接NGになったら…。
私、イエス様から離れてしまうかも。
取り敢えず、夫に事情説明の電話してから、祈り会のメンバーに欠席のメール送信。
「イエスは答えて言われた。『わたしのしていることは、今はわからないが、あとでわかるようになります』」
ヨハネ福音書13章7節)
明日の面接のために、娘達の服からコート、靴…まで選び、保護者の面接ないものの、やっぱりちゃんとした格好がいいよね、と自分のコスチュームも考えて…。
そしたら、
こんなかたちで面接NGになるわけがない。
という思いに至りました。
祈り会の姉妹からの返信メールにも、「大丈夫!」と心強い励まし。
転倒した要因としては、
久々にはいた皮のタイトスカートで自転車漕いでた。
のと、
早朝4時に目が覚めて、そのまま起きてて睡眠不足だった。
ことくらいで、
こうなったのは、やはり、「主から来た」としか思われません。
ならば、「何か意味があるのだろう」と思い、それに期待することにしました。
信仰とは、神を「信頼」することなのです。
エス様のなさることは、何せ、天地を創造された万能のお方なので、我々人間には計り知れません。
わからないけど、信じます。
なのだそうです。
他に信じられるもの(人)ってないし。
病院に運ばれて、レントゲンとCTスキャンを調べることになりました。
待ってる間に義母から心配メールが届いて嬉しかったり、
寝不足だったから、寝てられたし。
レントゲンもCTスキャンも異常なし。
頭を3針、左膝を2針縫ったけど、大した痛みではなく。
一人で帰宅出来ました。
普段、ろくに風邪も引かない私が、いきなり「救急車」なので、夫は泡を喰ったようで気遣いを見せてくれたり…。
娘の歯科医を予約していて、いつもは携帯していない健康保険証をもっていたり…
面接には、(保護者として)私一人で行くはずが、夫と一緒に行くことになり…。
没交渉だった義父からも「びっくりして(車で)病院行こうかと思った」とねぎらわれ…。
面接も事なきを得て…。
沢山の恵みをいただいたような気がします。
と思っていたら、先ほど、可愛がってくれた叔母が亡くなり、明日に通夜、明後日葬儀…と連絡がありました。
これも主からと受け取って、(1日から試験だけど)明日、帰省します。