祈りは聞かれた(4)
大学に合格したものの、浪人することになった双子の上の娘αについては、高3の2学期の数学の期末試験が0点で、大学受験どころか「留年」を覚悟させられたことを前回、書いた。
不登校でもない、授業をさぼるでもない、試験もふつうに受けて…
「留年」とは…。
本人の名誉のために一応、言っておくが、数学は全くできなかったが、国語はよくできた。
今、αは志望学部を理系から文系に替えて、家庭教師について勉強している。将来のビジョンも定まったようで、家庭教師からはいつも明るい報告を聞く。
あれでよく、大学に合格できたものだと思うが、(担任はスマホでαの合格報告を受け、「!!!???」くらい仰天していた)何にせよ、高校に留年したことを思えば、大学浪人など、いかほどのこともない。
むしろ、感謝である。
将来のビジョンに向けて、前進できていることを思えば、感謝しかない。
あのまま、なぜか合格して、何となく大学生になっていたら…
どういうことになっていただろう。
「イエス様はギリギリセーフの神様」
と言われた兄弟(=男性信者)がいた。
最後の最後まで追い込んで、「もう、おしまい!」というところで、救われる。
九死に一生を得る。
というところか…。
私も今まで、何度も経験してきた。
そして、今回も本当に、
「イエス様はギリギリセーフの神様」
だった。
今年に入って、私は二人の「前途の見えない」受験に疲れ果て、
旅に出たい。
家を出たい。(ウイークリーマンションでも借りる?)
大学合格(特にα)は難しいし、たとえ、大学に入学できたところで、人並みな学生生活を送れることは……到底、ありえなかった。
限界。
だったのだと思う。
一体、この時、主の何を信じていたのか、信じられたのだろうか。
主が何とかしてくださると思っていたのだろうか!?
おそらく、何も考えなかった。
考える余裕などない。
目の前は真っ暗、追い込まれ、危機迫るなかで、考えることなどできるだろうか?
運を天に任せる。
という。死ぬか生きるか、ギリギリまで追い込まれた時、人は、考えてなどいられない。
ただ、神の存在だけは信じていたから、
助けてください。
よろしくお願いいたします。
だけだった。
娘達の最善の道だけを、しがみつくように祈った。
そして、祈りは聞かれた。