高倉健という生き方

昨日発売の「文芸春秋」1月号に掲載されている死の4日前に書かれたという手記は読んでいないのですが、NHKスペシャル高倉健という生き方」を見て、ちょっとまとめてみようと思います。
2012年8月25日公開の映画、「あなたへ」が遺作となりました。
当時81歳。6年ぶりの映画だったそうです。

もはや、健さん」と言えば「渡辺健?」くらい、年には勝てないというか、影が薄くなってはいましたが、まぎれもない映画スターでした。
「あなたへ」撮影中の最後の密着映像100時間。
華やかな芸能界とは距離を置き、私生活を明かすことは殆どなかった、と言います。
そんな健さんがこの密着取材に応じてくれたのは、
後何十年も生きるわけではないし、本音の話をそろそろしておかないと。
という動機だったそうです。
健さんが最も心を許した安らぎの場所。

というのが、
理髪店。
40年、都内にいる日は、髪を切らない日も毎日のように通ったそうです。
健さんと親しげな主人は温厚そうなおじいちゃん。
40年たてば老人にもなるでしょう。
それにしても、
健さんが40代から毎日のように通いつめた場所が…、
(由緒ある理髪店だろうけど、結局)オヤジのやってる床屋。
とは…。
調べてみると、この床屋…否、理髪店、
港区高輪にある理髪店、そこの理髪店には高倉健専用の個室が用意されているので、撮影に入る際には店主と髪型を打ち合わせて役柄のイメージでカットしてもらう。この個室では長時間過ごす事もあり、個人の私物も数多く持ち込まれ、事務所からの連絡を受けるために個室にはFAX電話も設置されている。
うーむ。
これ、普通だったら、愛人宅だよね。
ちょっと寂しいような気がしました。
江利チエミと40歳で離婚してから独身を通した健さんにとって、家族はなし。
他に居場所はなかったのでしょうか。
調べてみると健さんという人は、
酒は飲まない。
「飲めない」ではなく「飲まない」。生まれは九州、炭鉱町ですから、それこそ、飲む気になれば底なしかもしれません。それを、敢えて「飲まない」。
煙草は一日に40本吸うヘビースモーカーだったのが、「八甲田山」という3年がかりの映画の完成に願をかけて禁煙し、以来、続いていたそうです。
博打はいっさいやらず、麻雀好きの片岡知恵蔵からも叱られたようです。
筋トレにウォーキング、食生活にも気を配り、おかげで180㎝の身長で体重は晩年まで70キロ未満を保持。
健さん、実は甘党だったそうです。
何とも…ストイック。
「懸命に生きている人を演じるには、自らも懸命に生きていなければならない」
と語ります。
「芸の肥やし」…とは真逆の役者人生ですね。
「演技には生き方が出る」
人を騙せない。
すごく、誠実な人なのかなぁ、と思いました。
健さん、福岡県の炭鉱の町で育ち、終戦後に上京して明治大学商学部に入ります。
卒業後、「食うため」に映画会社(東映ですね)にマネージャーの面接を受けたところ、
「俳優になる気はないか」
と重役の目にとまり、ニューフェイスとしてレッスンを受けますが、「向かないからやめろ」といつも言われていたそうです。
日舞もバレエも演技もダメ。健さんのバレエ、見てみたい)
嫌で仕方なかったけれど「食い扶持稼ぐため」に仕方なかったそうで、メイクが一番嫌だったそうです。
ところが、役者オーラがあったのか、

24歳でいきなり「電光空手打ち」で主役デビュー。
ここで、過去ブログで扱った三國連太郎」や「三船敏郎」…を振り返ると、誰も役者になろうとは、全く思っていなかったのですね。
不思議です。
1964年の「日本侠客伝」がはまり役となります。
健さん曰く、
「(自分は)ものすごく気が短い」
「このまま殺してやろうか」と思ったことも何度もあったとか。
「日本侠客伝」シリーズの健さん
「僕の中には、とってもあるんですよ。あの血が」
礼儀正しく、謙虚でストイックで、多くの俳優の憧れの存在。
奥さんがいれば、奥さんが苦労してたのかもしれません。
健さんの中の荒々しい血を、健さんは理性で飼いならしてたのでしょうか?
「映画のために多くのものを捨てた」
重い一言です。

最愛の母の危篤にも撮影を続けたそうです。
「肉親の葬式、誰も行ってない」
撮影中止にはしない。
それがまた、演技に厚みをもたらすのでしょう。
検索していたら、
実生活での理想は、前妻シモーヌ・シニョレと死別後、1987年、38歳年下の秘書と結婚し、1988年、65歳にして長男を儲けたイヴ・モンタンを挙げ、「いいよねぇ。フランスの奴、みんな憧れてるよ」
それとは真逆の人生。
高倉健という生き方」をまさに、貫いた人生。
好きになりました。