花筐(はながたみ)(3)

先生から映画「花筐」試写会の招待状をいただいた。
「宛名が『桂千穂』ですけど大丈夫ですか?」
と聞くと、
「『桂千穂の弟子です』って言えば断れないでしょう」

お〜っ!
先生、もうずっと、
「僕に弟子はいません」
と頑固に言われていたのである。(だから、あなたも弟子じゃありません)
これも、先生のこだわり、ダンディズムのような。
先生を慕う人、原稿読んでください、と持って来る人はゴマンといるが…。
弟子とは認めないらしい。桂千穂」から弟子と認めて貰えた。
ちょっと、嬉しい。(密かに喜ぶ)試写会は9月14日から11月27日まで何度かあり、25日に行ってブログ更新しようと思っていたが、
急な締め切りが入った。次は10月3日なので、その日を予定している。
それまでのつなぎをどうするか、考えた。で、先生にちょっと、この脚本についてインタビューすることにした。(原作も読んだし、大林監督のドキュメンタリー「映画作家 大林宣彦の遺言」も見た)

昨日、先生宅を訪れる。
「40年前、『これをやりたい』と大林監督から『花筐』の原作を渡されたんですか?」
「渡されなくても本屋に行けばあるでしょう」
「…そうですね。で、お読みになってどうでしした?」
「そんなの覚えてませんよ」
「そりゃそうですね。なんでも、三島由紀夫がこれを読んで、小説家を志したとか」
「そうなんですか?」
「…と大林監督は言ってます」
「そうですか。三島由紀夫は大好きです」
「原作読むと、確かに三島っぽいですよね?生活感なくて男色もあって…」
「そうかもしれませんね」
「先生、あの…映画脚本のクレジットが、大林宣彦 桂千穂で大林さんが先なんですけど…」
「そんなこと、どうでもいいじゃないですか!?」
「そうでしょうか…?あの、初稿は大林さんがお書きになったんですか?」
「(怒)そんなはずないでしょう!」


「…でもなんか…ドキュメント見てると、原作に惚れ込んだ大林さんが映画シナリオの初稿書いたようなニュアンスもあって」
「書けるわけないじゃありませんか!?CFディレクターだったんですよ!」
確かに。今や、大林宣彦と言えば日本映画を代表する映画監督だが、40年前は…(映画監督として)素人
「映画「花筐」は原作にはない戦争が扱われていますが…」
「そうですね」
「先生の脚本には…?」
「僕は書いていません」
「では、そこは大林監督が…」
「そうですね」
「その(大林監督が戦争を盛り込んだ)脚本は先生はお読みになったんですか?」
「読んでいません」
聞くところによると、先生が当時、CFディレクターだった大林宣彦から「花筐」のシナリオを依頼され、書いた。
それは流れて、「HOUSE」が映画化された。
「花筐」は(ギャラは受け取り)そのまま…。
40年の歳月の中で桂先生は「花筐」のシナリオは雲散霧消し、大林監督が保持していたからこそ、映画化が実現した。
大林宣彦の執念。
そこに全く立ち入らない、桂先生の潔(いさぎよ)さ…。
カッコイイ、と思う。
桂千穂80本目の映画」
である。
80本書いた映画脚本家なんて、なかなかいませんよ」
確かに。なのに、この先生…偉ぶったところがない。
大人の狡さもなく、少年のようである。
88歳を迎えて…
「何もかも、面倒くさい」
らしいが…。
最後に、大林宣彦監督、桂千穂脚本による映画「廃市」(1984)の予告編https://www.youtube.com/watch?v=0HM8kw3eCjI