見舞い(2)

さて、前回お話したT姉妹。
実はT姉妹と私、結構似たところがあり、年齢差はあるものの親近感を感じていたのです。
類似点1(典型的)B型である。
マイペースで率直、良く言えば正直。表面をつくろったり、もって回ったことはしません。
だから、祈りも「正直」なんですよね。「どうしてあなた様は忍耐ばかりを好まれるのですか?忍耐は嫌いです」「私はすぐに悪魔と手を結んでしまいます」などという祈りをされていました。祈りは神との対話ですから、口先だけの綺麗事では意味がない。神は我々の心の中などお見通しですから、どんな本音であれ、正直な祈りを好まれます。私も思いのたけを叫ぶように祈った時、「正直な祈り」だと、祈り会の姉妹に褒められたことがあります。
類似点2 関西人である。
T姉妹は神戸、私は奈良。イメージは違いますが、T姉妹見てると「関西人やなぁ」と思います。芸術関係のお仕事だったので、創造性豊かだとは思うのですが、「せやから結局、何が言いたいねん!?」みたいな本質を突く。ベールをかけてごまかす、みたいなことが出来ないようなところがあります。
類似点3 イエス様初心者マーク
この教会に通い出したのが私と同じ頃みたいで、まだ「(イエス様の存在は認めるけれど)心からイエス様を受け入れている」というのではなさそうでした。事業に失敗して失意にあったものの、華やかな世界を知っておられる方なので、プライドも高く自信もあった。厳しい現実にあっても、内心、「(神に頼らなくても)何とかやれるのではないか…」というような本心があったのではないかと…。
そうですね。私、毎週日曜、娘達と礼拝に通っていますが、
敬虔(けいけん)なクリスチャンには程遠い。
という自覚はあります。
敬虔なクリスチャンって何やねん!
ということになりますが…。
神はおられると信じるけれど、わからないこと、聞きたいこと…疑問がいっぱい。
みたいな…。
ともかく、私は個人的にT姉妹に親近感をもっていたのでした。
厳しい現実の中でT姉妹が主を求め、主に叫び…。礼拝に来なくなり…。
案じていたところへ、入院されてお見舞いに行くことになりました。
入院先の病院に着いて、受付で部屋を確認してから、
「お祈りしよう」
と姉妹方に言われて、エレベーターに乗る前に、三人で小さなお祈りをしました。
(三人ともいい年した母親なんですが)まるで少女のようないたいけなお祈りをして…。
主に祈り、守っていただけなければ、どうにもなりません。
私達、神の子どもですから…。
そして、面談ルームに現れたT姉妹、車椅子でしたが、
「お元気ですか〜?」
軽やかに尋ねられて、
「それは、こっちの台詞やろ〜!」
とも言えず、戸惑ってしまいました。
何よりも、案じていたT姉妹の様子が実に晴れ晴れとしていて、安堵したのでした。
足の痛みで救急車を呼び、そのまま入院されたそうです。
普通なら、
・仕事出来へんやんけ。(収入なし)
・金かかるやんけ。(貯金もないで)
・動かれへんし病室の中だけで、陰々滅々やんけ。
こういう時、駆けつけてくれる親族がいないというのも、こたえるのではないでしょうか。
T姉妹は言われました。
「今までの人生で一番厳しいけど、一番平安です」
それが口先だけの見栄でなく、表情がとても優しくて余裕があるんですね。
涙ながらに祈られてたT姉妹。
暗い顔で礼拝に来られていたT姉妹。
それとは比較になりません。
まさに、「コリント第2の手紙 12章10節」にある
「私が弱いときにこそ、私は強いからです」
ではありませんか…。
「イエス様のことを恨んだし、文句も散々言って礼拝にも行かなくなったし…。それでも、こんな私を愛してくださるんですね」
しみじみと語られました。
「捕(とら)えられて、身動き出来なくされて…。此処までされないとわからないんですね」
神の存在は認めながら、それでも、自分で何とかやれるのではないか…。無駄な抵抗をして来たのだそうです。
そして、救急車で入院。車椅子では抵抗のしようもありません。
さすがのT姉妹もお手上げ、ギブアップ。
すると、
入院した病院の同じフロアーに、同じ教会に通う姉妹が入院していた。
可愛いおばあちゃまで、お見舞いの兄弟姉妹が絶えず来られて、T姉妹も一緒にお交わり(交わる=歓談)したり、(個室なので)讃美歌歌ったり…
出来たそうなのですね。
エス様、すごい。
としか、言いようがないのではないでしょうか。
主がT姉妹を守られているのを感じました。
「この世的なことを言えば、滅茶苦茶ですよ。でも、平安」
「平安」というのは、業界用語なのかもしれません。よく使われます。でも、個人的にこの2月、父がクモ膜下出血で倒れ、喪服をスーツケースに詰め込んで新幹線に乗った時、不思議な「平安」があり、これが、噂に聞く「平安」なのか…と思ったものでした。全く自分でも理解出来ないのですが、人生最悪の事態にありながら、「平安」だったのです。勿論、祈っていました。
これはもう、主が生きて働かれたとしか言いようがありません。
入院するT姉妹に、主がいつも寄り添ってくださっているのでしょう。
パジャマにすっぴんなのに、今までで一番美しいT姉妹でした。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙 8章28節)
のみことばカードを入れた写真立てをお見舞いに差し上げて、他に誰もおられなかったので4人で讃美歌を歌いました。
T姉妹、間もなく退院されます。
いきなり、(今の賃貸は今月中に出ていかなければならず)新しい住まいを探さなければなりません。
主がどのようにT姉妹を救ってくださるのか…。
またご報告したいと思います。
平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。
詩篇 4章8節)