見舞い(1)

祈り会の姉妹(=女性信者)方と、先週、T姉妹のお見舞いに行ってきました。
祈り会にも来られたことのある姉妹で、とても個性的な方です。
「(神に対して)どうしてこんな、艱難(かんなん)ばかりをお与えになるのですか?」
と、涙ながらに祈られたこともありました。
T姉妹は60代、家族はなく、事業に失敗して、生活のために仕事を選んでられなくなりました。
他の姉妹から貰った回数券で礼拝に通っていたことも…。
今年はほとんど礼拝で見かけなくなり、どうしておられるのか心配していました。
それが、足を悪くして入院されたとかで、誘われて、一緒にお見舞いに行くことに…。
私の通う教会。
難病の人、重病の人、あまり先のない人…おられます。
そこへ兄弟姉妹が見舞いに行くと、
「逆に励まされる」
というのが定説になっています。
「今の私の祈りは、主によく聞かれるので、○○さんのこと祈っていますよ」
などと言われるそうです。
この世的には信じられないことですが…。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
(第Ⅱコリント 12章9節)
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
(同  12章10節)
「私が弱いときにこそ、私は強い」――なんて、よくわからないでしょうが、自分が弱められ、なす術もなくなる時、そこに主が豊かに働いてくださるということなんですね。主の前に「お手上げ状態」なわけです。自分で何とかなる、頑張れる…うちは、逆に主の出番を閉ざしているそうです。
また、エス様を信じる者は「死後は天国」なわけですから、死期が迫るというのは「天国」が近いということでもあります。日常の煩わしさから解放され、主と真正面から向き合えるということもあるでしょう。
そんなわけで、入院中の兄弟姉妹を見舞うと、「逆に元気になる」…そうなのですが…。
私は、これが初めてで…。
本当に噂が本当なのか、確かめたい思いもあって出かけました。
心配してくれる家族がいるでもなく、
入院してるわけですから仕事も出来ません。
ギリギリの生活だったようですから、無収入の上に入院費用がかかる。
その上、プライドも高く…。
T姉妹がどのように、私達を迎えてくれるのか…
想像がつきませんでした。