続・事件(2)

(前回あらすじ)
金曜の昼近く、三輪は携帯がないことに気づく。可能性としては、ゴミ箱に携帯を落とし、気づかぬままゴミに出したとしか考えられない。クリスチャンの三輪は祈る。主が最善に導いてくださるようにと、クリスチャン的祈りをする。そして三輪は、ランチの約束をしていたTさんと会う。一緒にドコモショップに行って事情を話し、携帯番号とアドレスは継続して使えることを確認。携帯本体については「使わなくなった携帯もってる人がいれば、それを貰い受けることができます」と言われる。帰宅した三輪は、携帯失くしたにもかかわらず平安であった。そしてその夜、固定電話が鳴り…。

まず、祈りについてちょっとお話したいと思います。
クリスチャンにとって「祈り」とは、神との対話なんですね。まぁ、神が返答してくださるわけではないので、一人語りみたいではありますが、姿は見えなくても神はおられるのです。
この祈りというものが奥深くて、クリスチャンと言っても若葉マークの私には、まだ、よくわかっていません。
ただ、イエス・キリストを救い主とするクリスチャンの祈りは、自分の願いをかなえてください、というようなものではない。
例えば、ガンになったとして、普通なら、
「ガンを治してください」「完治してください」
というような祈りをすると思いますが、少なくとも、私が通っているキリスト集会では、
「この試練を通して、より深く主を知ることが出来ますように」
「ガンを通して、周りの人に主を証(あか)しする(神の存在を明らかにする)ことが出来ますように」
などと、祈る方が多くおられます。
究極のところ…。
「ガン=死」という感覚で人はガンを恐れますが、
じゃ、ガンでなければ死なないんですか?
と思います。
ガンが治ったとしても、また再発するかもしれないし、常に再発に怯えるのが現実でしょう。
とすれば、
「ガンを治してください」「完治してください」
の祈りは、その場しのぎの気休めに過ぎないように思うのです。
クリスチャンとしては、
ガンを与えたのも神。
なんですね。なので、ガンを与えられて「どうしてですか?」と神に訴える信者もいれば、与えられた意味を考える信者もいる。
クリスチャンは「死ねば天国」なので、本当に天国を確信出来ていれば、ガンも怖くはないでしょう。
末期ガンの信者の見舞いに行って、「逆に励まされた」という話、よく聞きます。
なので私も…携帯を失くした時に、
「携帯が見つかるように」
とは祈りませんでした。失くした携帯が見つかる以上のことが、神のご計画にはあるのではないか…。
「(私達の)祈りは(神に)聞かれる」
と信仰歴、20年以上の姉妹(女性信者)方は言われます。
「責任をとってくださる」
とも…。携帯をゴミ箱に落とし、ゴミとして清掃車にもって行かれたことも、神の許しがなければなかったことですから、
オトシマエつけてくださる。
そうなんですね。
なので祈って、成り行きを見ていました。
どないオトシマエつけてくれんねん。
というほどに期待してたわけでもなく…。そしたら、夜、固定電話が鳴って、相手は昼間、ランチを一緒にしたTさんでした。そして…
スマホを買って、使わなくなった携帯がある。
と言うんですね。
しかも、ドコモ。
キャ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
だったら、昼間言えよ、と一瞬、思ったものの、受け取らない理由はなく、翌日、待ち合わせていただく約束をしました。
携帯ないと、待ち合わせも不安ですね。
そんな不自由も経験して受け取った携帯は、
新品みたい。
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
使用して3年とか言われたものの、殆ど無傷で美しい。私の失くした携帯は、恥ずかしいほど小汚くなっていました。ドコモショップで携帯内のデータはすべて消して初期化してくださったとのこと。
翌日、ドコモショップで手続きをしました。CDに取ってあった古いデータを注入して…。3500円、口座から引き落とされるそうですが、それ以外の被害は一切なし。
それどころか…。
失くした携帯(は正直、色々不便だった)より余程使い勝手がよくて、顔文字や絵文字が満載で…。
使いたくてウズウズしていた絵文字駆使してメール連発しています。
その上、充電器が卓上ホルダーになっているので、ゴミ箱に落とす心配もありません。
ドモ\(´▽`*)(*´▽`)/ドモ
尚、この「祈り」は信者、未信者の区別なく聞かれる、ということですので、未信者の方もどうか、折があれば祈ってみてください。神のみ心にかなう祈りならば、聞かれるそうです。
このタイトルに「続」を付けたのは、2011・9・24のブログに「事件」とタイトルしたものがあるからです。これも、祈りを通して経験した不思議な出来事を書きました。ついでにお読みいただければ幸いです。