続・事件(6)

はい、携帯の行方…です。
(去年の3・18、25、「唐揚げの行方(1)(2)」ブログを書いたなぁ。やはり「唐揚げ」を失くしてしまったのです)
昨年の11月、携帯を失くして(携帯をゴミに出してしまった)から2か月…。
(続・事件(1)(2)参照)
あの携帯は、神からいただいた携帯だと思っていたので、ショックも深いと同時に、
すぐに取り戻してくださるのではないか。
と思っていました。
「主(=神)ヲ体験的二知ルコトガトテモ大切デス」
と、ゴットホルド・ベック牧師は言われます。
「体験的に知る」とは、神が主観や観念でなく、「実在」することを経験的に知ること。
神が起こしたとしか思われないような、現実ではありえないような奇跡を経験して、それを通して神の存在を知る、ということですね。
「(我々の)祈りが(神に)聞かれる」ということでもあります。
(神に)ひれ伏すしかないような経験を通して、信仰に入った人も多いです。
クリスチャン歴3年の私も、「体験的に主を知る」経験を重ねているのですが、昨年の「続・事件(1)(2)」は、思い返しても、主が働いてくださったとしか思われず、「主から新しい携帯をプレゼントされた」と得意になっていました。
相変わらず使い勝手もよくて、感謝感謝…だったのに…。
昨年失くしたのも金曜日でした。それが翌日、土曜には新携帯をタダでGETして、日曜には使えるようになっていました。(3500円取られたけど)
今回も金曜で、土・日・月の三連休。連休明けには問題解決してるような気になっていたのですね。
ところが…。
無慈悲に3連休は終わり…。
失くした当日、ドコモショップで紛失した携帯をロックしてもらい(通話やメールなど使用出来ない)携帯にかかった電話には自宅℡に掛け直してもらうアナウンスを流してもらう手続きをしました。
携帯メールでやり取りしていた相手とはパソコンからメールで事情を説明し…。
携帯のない生活自体には、それほど不自由を感じないものの…。
ないとやっぱり、困る。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」
アーメン…。
エス様がおられるなら、必ずや、携帯を取り戻してくださる。
ということは、
携帯が取り戻されないということは、
エス様はおられない?
ドモ\( ̄▽ ̄*)(* ̄▽ ̄)/ドモ
信仰の浅い、否、信仰など、そもそもない者なのだと知らされます。
結局、
携帯を購入すれば問題ない。
ということで、問題は、
いつ、購入するか。
いつまで、待つか…。
ということで…。
16日(水)近くの交番を訪問して、携帯紛失の届を出し、ビックカメラで携帯の下見をしました。
20000円内で買えるので、まぁ、いいか…。
スマホは、通話料別で月々7000円ほどかかるらしいので、却下。
すると翌日、ドコモから電話あり、
「〜××署で携帯をお預かりしているそうですので〜」
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!