続・事件(1)

「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
(ローマ人への手紙10章11節)

わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
エレミヤ書33章3節)

あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩篇37章5節)

久々に聖書を引用してみました。
聖書は言わずと知れた世界のベストセラー。イエス・キリストの名前くらい子供だって知っています。でも、
イエス・キリストは歴史上の人物
と思っている人、多いのではないでしょうか。
イエス・キリストは生きて働かれる
ということを、クリスチャンになって少しずつ経験するようになりました。
「人は裏切るけどイエス様は裏切らない」
クリスチャンになりたての頃、初対面のおばちゃんがそう、言ってくれました。
最近の経験を書いてみます。
金曜日でした。
午前中の締切を終えて、お昼を一緒にするTさんから、そろそろ連絡があるはず…、と携帯を探したところ、
携帯がない。
あるべきところにない。
昨夜、Tさんと電話したのが最後、それから外出していないのでこの部屋にあるはず。
固定電話から携帯に電話してみたところが、
反応なし。
慌てます。
マナーモードにしたはずもないので、着信音があるはず。慌てます。
クリスチャンなので、祈ります。でも「携帯が見つかりますように」とは祈りません。「平安を与えてください」(冷静に対処できるように)とまず祈り、「最前に導いてください」と祈ります。
次第に、携帯が失くなった可能性として考えられるのはひとつしかないと悟ります。
テーブルからゴミ箱に落下したのを、気づかすゴミに出した。
ゴミ箱に落ちたのは過去にもありました。ゴミ箱の内側にビニール袋がセットされ、携帯に気づかず袋の口を縛ってゴミに出した。
ゴミ収集車はとおに去っていました。
後悔しても仕方ない。というより、主が私に気づかせることはできたはずのに、そうはされなかった。ならば、それも主のご計画のうちなのではないか…。
そう思うと、だんだんに落ち着いてきました。そして、イエス様がこの事態を、どのように処理してくださるのか傍観者のように見ている自分に気づきます。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
はい、信頼します。信頼しますから失望させないでくださいね。
わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
はい、呼びます。どうか、奇跡を起こしてください。
取りあえず、
ゴミに出したならば、行方不明で不安になることも、悪用されることもない。
ないことに気づいたのが締切後でよかった。
連絡待ちのTさんには、こちらから電話しようにもTさんの携帯番号は失くした携帯にしかデータがなく、待っているしかない。やがてTさんから固定電話に連絡あり、事情を説明し、Tさんは怒りもせず時間遅らせて会うことに…。(Tさんが極めて穏やかな人であるのも幸いでした)
失くした携帯内のデータは、昨年2月分まではCDに保存してありました。
Tさんと会って、まずドコモショップに行って事情を話し、今までの携帯番号、アドレスを継続使用できると確認できて、ひとまず安堵。代替機の貸し出しはなし。手続きすませ、次の携帯は「知り合いに使わなくなった携帯もってる人がいれば、それを使用することもできます」
失くした携帯は5年くらいになるのか…。Tさんが買い替えたばかりのスマートフォン使ってて、この際、スマホにしようか、それが主のご計画なのかも…?
とにかく、携帯失くすというのは落ち込むものですが、それほどに落ち込むこともなく…。「ゴミに出した」というのが「何処へ行ったかわからない」と違い、逆に安心できたような…。いつ見つかるかわからない、とすれば、対応にも困り落ち着きません。金曜だったので、土日で対応して月曜から新しい携帯で動けるような気にもなり…。すると…。
金曜の夜、一本の電話が固定電話にかかり…。
                
                つづく