天国と地獄(2)

お待たせ致しました。「天国と地獄」続きです。
人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている
(ヘブル人への手紙 9章27節)
怖いですね。
死後の裁き、つまり、天国へ行くか地獄へ行くか…。
私達日本人て、「天国」「地獄」って何処か絵空事みたいに思っていませんか?
「死んだらおしまい(=無)」
或いは、
何となく霊界みたいなところへ行って、
「先に死んだ人達と会ってる」
みたいなイメージ…。
「死んだらみんな、仏様」と言うような人も多い。
何の根拠もなく。
シ──(-ω-)(-ω-)(-ω-)──ン
海外暮らしの長い友人が、
「外国は明確に死後の裁きを信じてるわよ」
異論はあるかもしれませんが、聖書が身近にある生活をしていれば、自然なことだと思います。
日本人と聖書って、不思議な関係ですよね。
聖書を知らない人はいないし、よく引用もされる。否定する人も見かけないし、存在自体は肯定的。でも、
聖書を開いて読んだことのある人はあまりいない。
ドモ\( ̄▽ ̄*)(* ̄▽ ̄)/ドモ
ミッション系の大学に通っていた私が、
当時、聖書を開いた記憶がない。
アセアセo(^^;o)Ξ(o;^^)oΞo(^^;o)Ξ(o;^^)oドウモ〜♪
聖書を読んだこともなく、イエス・キリストを信じてるわけでもないのに、
ミッションスクールに通い、
クリスマスを祝い、
教会で挙式したい
そんな日本人。
聖書では「(キリスト以外のものを信じる)偶像崇拝」を禁じていますが、日本では「聖書」が「偶像」になっているような。
日本は勿論、世界的に使われている西暦これはキリストが誕生した翌年を元年としています。今、西暦2011年ですから、キリスト誕生から2011年目ということ。非常にわかりやすい。(西暦は19世紀頃、キリスト教国家を中心に使われるようになったようです)
ジーザス・クライスト!」「オーマイゴッド!」
外国映画なんかで登場人物が絶叫しますが、「苦しい時の神頼み」以外、神にすがることのない我々日本人と違い、海外の人々にとって神は身近な存在なのではと思われます。
前ふりが長くなりましたが、「聖書」が決して身近なものでない日本人にとって、「天国」「地獄」に現実感がないのも仕方ないのかと思います。それほど、「聖書」では天国と地獄が大きなテーマとして語られています。
私、教会に通い聖書を学ぶようになって、「地獄」という「永遠の滅び」を学び、
これだけは、どうしてもイヤ。避けたい。
地獄を味わうのに比べれば、
「死んだらおしまい(=無)」
なんて甘い甘い
シ━━(^(^(^(^(^(^ω^;lll)━━ン
また私は、死んだ人々が、大きい者も小さい人者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物が開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行いに応じて裁かれた。
ヨハネの黙示録 20章12節)
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名前のない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
ヨハネの黙示録 20章14、15節)
おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべての偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。
ヨハネの黙示録 21章8節)
火と硫黄の火の池――どうも、これが地獄(ゲヘナ)のようです。ハデスというのは、終末の裁きを待つ間にいるところ。つまり、ハデス→ゲヘナだそうです。
地獄、それは火の池で永遠に苦しむことのようです。ヨハネの黙示録には天国についても書かれていますが、ここは神とともにあり、夜がなく、苦しみも悲しみもない。まさにパラダイスのようです。
よく言われることですが、人は死の間際、人生が走馬灯のように蘇る…。それは、神の裁きのために開かれる「書物」の中身なのかなぁ、と思ったりします。
天国と地獄。
この別れ道は何なのでしょうか?
わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ福音書 4章14節)
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主、キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ人への手紙 6章23節)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ福音書 3章16節)
エスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」
ヨハネ福音書 11章25、26節)
人間というのは、様々な罪を犯すのですが、その中で一番の罪は、
不信仰の罪。
だと、私はベック牧師から教わりました。
神の子とは、イエス様。エス様を信じれば、永遠のいのちを得て、天国へゆけると聖書には書かれてあります。永遠の滅びが地獄なら、永遠のいのちが天国でしょうか。例え死刑囚であっても、悔い改め、心からイエス様を受け入れれば天に召されるのだそうです。
多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの賤しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
(ピリピ人への手紙 3章18〜21節)
":*・゚☆.。.:*・゚£(。・""・)o[†...Thanks...†]o(・""・。)β。.:*・゚☆.。.:*"