天国と地獄(3)

私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く、あなたはいのちを選びなさい。
申命記 30章19節)
怖ろしくも美しい…。
天国を取るか地獄を取るかの二者択一を、こんなふうに表現するなんて…。
":*・゚☆.。.:*・゚£(。・""・)o[†...Thanks...†]o(・""・。)β。.:*・゚☆.。.:*"
すみません。
修羅場っておりまして、ブログ更新出来ませんでした。
ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ
「天国と地獄」(2)驚くようなアクセスをいただきまして…。
実は戸惑っております。
私自身はとても「天国と地獄」を語れるような者ではないので、私が集っているキリスト集会
http://www.christ-shukai.net/
で発行している書籍や礼拝で学んだことを参考に書かせていただいております。
私としては、皆さまに聖書の御言葉を紹介出来るだけでもいいかなぁ…という思いです。
「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
ヨハネの黙示録 21章3、4節)
天国について書かれてあるところです。そこは、地獄とは真逆のところ。火の池である地獄には「神」はおらず、「苦しみ」しかない。天国は、神がともに住み、そこに「死」はなく、悲しみも苦しみもないわけです。地獄には昼と夜がありますが、天国には夜がありません。
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、子羊が都のあかりだからである。
ヨハネの黙示録 21章23節)
というわけなんですね。聖なる都、新しいエルサレム=天国については、こんふうに書かれてあります。
都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな城壁と十二の門があって、それらの門には御使いがおり、イスラエルの子らの十二の部族の名が書いてあった。(略)都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三は玉髄、第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石…
ヨハネの黙示録 21章11〜20節)
目も眩むようなところのようであります。もし、死んでこの、天国にゆけるとしたら、それは、
人類の永遠の夢、不老長寿どころではない
わけです。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの賤しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
(ピリピ人への手紙 3章21節)
とあるので、ヨボヨボの老いた身体で死んでも、天国では「栄光のからだ」に生まれ変わってるわけなんです。その「栄光のからだ」つまり、イエスの外見については、同じく黙示録にこのように書かれています。
その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
ヨハネの黙示録 1章14〜16節)
ちょっと想像つきませんが…。エスヨハネに言われたそうなんですね。
「あなたの見ることを巻き物にかきしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアに送りなさい」
ヨハネ黙示録 1章11節)
「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
ヨハネの黙示録 21章5節)
それが、2000年以上の時を経ても、こうして私の手元に届くこと、それは、奇跡というより、神の技としか思われません。そもそも…2000年も前、イスラエルベツレヘムに誕生したイエス、その人を、世界中の子供までが知っているという事実は、驚愕すべきことではないでしょうか。
また言われた。「事は成就した。わたしはアルファでありオメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
ヨハネの黙示録 21章5〜8章)