小1の日記(3)

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」
ヨハネ福音書 15章16節)
私もそうなのですが、周りの信者の方も言われます。
自分からイエス様を求めてクリスチャンになったのではないのですね。
振り返れば、ミッション系の大学に通い、
キリスト教概論
という講義を宣教師から受けていた私でした。しかし、
寝ていた。
という記憶しかありません。
社会に出てからも、神なるものに対する思いはあったので、知り合いになったクリスチャンとお付き合いもしたし礼拝に集ったこともありましたが、動かされるものはありませんでした。それが、
「私はクリスチャンなので、死が怖くありません」
俳優の宇津井健がテレビで語っていて、
へ〜ぇ。
と思いました。
ファンでも何でもなかったけど、
死が怖くない。
と(真面目に)言い切る人を、他に知らなかったので。
思えば、この後、私はイエス様を知ることとなり、謂わば、これはイエス様と出会う、
プロローグ。
のように思えています。
自分がクリスチャンであり、神を信じることがどのように素晴らしいかを人に語ることを、業界用語で「証(あか)し」と言います。クリスチャンでも、なかなか「証し」は出来ないものです。そういう意味で、
宇津井健は立派。
だと思います。
前置きが長くなりました。何を言いたかったかというと、私はクリスチャンになって来月でまる4年。
聖書もろくに読んでいないし、わからないことだらけ…ではありますが、イエス様を知って、
救われた。
と感じるんですね。何から救われたか…。
(少なくとも)死の恐怖から救われた。
死が怖くて屋上で泣いた7歳の私は、長じて後も死の恐怖につきまとわれていました。別に家族と死別したとか、病弱だったとか全くなくて、ただ観念として、死への恐怖から解放されることがなかったのです。
いつかは死ぬ。(無に帰する)
別に生きたいわけではないけど、骨になるのは怖いわけです。
聖書には「永遠の命」がちりばめられています。
イエス・キリストを信じる者は「不老長寿」どころでない「永遠の命」=「死なない」わけです。
信じられたら楽だろうけど、そう簡単に信じられるものではない。
でも…。
先輩信者の方々がみな、宇津井健みたい(死ねば天国=死が怖くない)なので…
後期高齢なんて物ともしない、(重い試練を与えられていても)内側から輝いておられる方が大勢おられます。
「年を取るほど楽になる」
と言われた姉妹(=女性信者)がおられ、
「(天国に)もって行くもの何もないでしょ?」
この世への執着が何もなくなる。お金、名誉、世間体…。どうでもいいわけです。そして、
「天国で誰と会えるか楽しみ」
年を取れば取るほど天国が近くなるわけですから…。
「こんな素敵な老後が待ってるなんて、夢にも思わなかった」
と語られる兄弟(=男性信者)も沢山おられて、
父母にもこうなってほしい。
と思う娘であります。