ガンをいただいて感謝(1)

ご訪問、ありがとうございます。
久々に、イエスさまのネタで行きます!
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
ヤコブの手紙 1章12節)

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の未知も備えてくださいます。
(第一コリント 10章13節)

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
(ローマ人への手紙 5章3〜4節)

苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇119章7節)

「忍耐」「試練」「患難」…それが聖書のテーマと言えるのではないかと思うほどです。「可愛い子には旅をさせろ」「若い時の苦労は買ってでもせよ」等々、日本でも使うけれど、そんな程度ではない。
マタイの福音書にある有名な、「右の頬を打たれたら左の頬を〜」ですから。
「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ」
(第二歴代誌 20章17節)
にもあるように、争うのもいけないんですね。主が代わりに戦ってくださると言うのです。一般的なクリスチャン像、優しい、穏やか、怒らない…のイメージは、このあたりと関係あるように思います。
確かに、「忍耐」「試練」「患難」…は人間を磨くかもしれません。でも、出来れば避けたい。けど…クリスチャンになったら避けられないことのようで…。
礼拝に通うようになって、一番びっくりしたと言っても過言ではないこと。
ガンという試練をいただいて、感謝でした」
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
鬱病になった人に、「おめでとう!」と声をかけてる。(聖書を読む時間が出来る)
ゴルァ━━━━━━(゚Д゚)━━━━━━ !!!!!
「試練にあって砕かれてます」と言えば、「感謝だね」
ε=ε=ε=ε=( * ̄▽)ノノ
エスさまの教えは、この世とは真逆。何せ、神を信じる者は、死ねば永遠の命をいただいて天国に召されるのですから、「死」は天国への入り口なわけです。
早く死にた〜い!
キタ━━━━ヽ(^∀^ )ノ━━━━!!!!
本気で思うんですけど、ホスピスで聖書を読めばどうでしょう。ヨハネの黙示録など読めば、死後の裁き、地獄も天国も書かれてあるし、神を信じれば、
「死ねば天国」
と思えば、死の恐怖から、死への憧れに代わるのでは…
ドモ\( ̄▽ ̄*)(* ̄▽ ̄)/ドモ
本音です。とにかく、
「最愛の娘を喪ったことで、主と出会えた」
と言う方までおられ…。
「苦しい時の神頼み」と日本では言いますが、人間が神を求めるのって、追い詰めれた時ですよね。例えば、飛行機事故なんかで死を覚悟しなければならなくなったとしたら、神にすがらない人は稀ではないでしょうか。天変地異や不治の病でもかまいません。
そんなわけで…。
大きな試練に会ったことで神を求め、神と出会って救われた(「救われる」=業界用語で主イエスを自分の救い主と受け入れる)…と告白する方は多いです。そして、
神を受け入れ、クリスチャンになったから、幸せ…というのではなく、
クリスチャンになると試練から逃れられない。
ドモ\(´▽`*)(*´▽`)/ドモ
悩みがなくなって幸せになると、人は神から離れるようで…。
ひたすら神を求め、祈るには…
絶えざる試練やら患難…が必要らしいのです。
人間って、ホントに愚か…。
なんですね。
(私の通う「キリスト集会」を起こしたベック宣教師は、6人の娘さんのうち3人を喪い、皮膚ガン、白血病、糖尿病…の三重苦をおっておられます)
(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。) ウンウン
例えば、死を宣告された患者でも、
痛みの中で、いつも主がともに居てくださった
と告白する方も多く、その顔は輝いています。信じられないことだけれど、
死ねば天国
と思えば、大抵のことは我慢出来そうです。

恐れるな。
わたしはあなたとともにいる。
たじろくな。
わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
イザヤ書 41章10節)

にもあるように、求めれば、いつも主は共に居てくださるそうなのですね。
「(死期を宣告された)重病人を見舞って、逆に励まされて帰った」
という話もよく聞きます。
信じられないことが起こるようです。