砕かれて…。それから…

私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。(エレミヤ書 15章16節)

よく引用される箇所です。クリスチャン初心者マークの身で聖書を語るなんてとんでもない、と思いながら、予想外のアクセスがあり…<(_ _*)> アリガト
引き続き、書かせていただきます。初心者マークだからこその「視点」もあるかと思い…。
ここで、また業界用語。
みことばを食べる。

私も散々姉妹方(=女性信者。男性信者は兄弟)に言われました。
「みことばを食べなさい。赤ちゃんが乳で育つように、姉妹もクリスチャンとして赤ちゃんと同じだから、みことばという乳で育つのよ」
つまり、聖書のみことば(御言葉)ですね。ただ読むだけでは、すぐに忘れる(消える)。それを自分の中に取り込んで、血肉にするというような意味でしょうか。確かに、-聖書のみことばは真理であり、朽ちることも色褪せることもない。生きて働いてくれるところに聖書の偉大さを思います。
そして…。
「迷っている時、悩んでいる時、苦しい時…、求めれば必ずみことばが与えられる」
そうです。(聖書も開けず、みことばを求める余裕もない昨今でした"(-""- )")
":*・゚☆.。.:*・゚£(。・""・)o[†...Thanks...†]o(・""・。)β。.:*・゚☆.。.:*"
はい、ここで前回のおさらいです。業界用語で、
砕かれる。
という言葉を学びましたね。よく使われます。これは、
様々な患難で自己の傲慢や自信、自我…が跡形もなくなる。
というような意味です。
もはや、神にすがるしかない。
例えば、
死の宣告や死の覚悟。
事業(仕事)の失敗や愛する者との死別。
それまで築き上げてきたものが一瞬のうちに木っ端微塵になるってこと、珍しいことではありません。逆に言えば諸行無常」「奢れる者は久しからず」――頭ではわかっていても、自分の身に降りかからない限りは考えても仕方ないし他人事です。
聖書の中では、そうして人が「砕かれる」ことで神と出会う、神との絆を深めるとあります。
「この病(災難、事故)にあったことで、神と出会えて感謝です」
という信者の方々、沢山おられます。そして、
「信仰が深まるほど、大きな試練を与えられる」
というのが、信者間での通説だそうです。
((((;゚;Д;゚;))))カタカタカタカタカタカタカタカタカタ
そう思えば、幾多の試練を与えられながら、
「私は神様にえこひいきされてる」
と語った作家、三浦綾子さんの言葉も理解出来るようになりました。
私の今の患難(試練)など、命や人生を揺るがすようなものでもなく、少し立ち直って、ビール飲みながらこうしてブログ書いています。
YAH♪☆0(^^0)*^^*(0^^)0☆♪YAH
信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコブの手紙 1章3〜4節)

「忍耐を完全に働かせなさい」って…
アセアセo(^^;o)Ξ(o;^^)oΞo(^^;o)Ξ(o;^^)oドウモ〜♪