「イエス様と二人暮し(^ー^)」

私が通う、キリスト集会というところでは、男性信者を「兄弟」、女性信者を「姉妹」と互いに呼び合います。聖書にも、そのような使われ方があります。
ある姉妹に、
「お一人暮らしなんですか?」
と聞いたら、その方が、
「イエス様と二人暮らしです(^ー^)」
と答えられて、素敵だな…と思いました。
私も去年から教会というものに通い出し、洗礼も受け…一応、クリスチャンだとは思うのですが、まだまだ初心者マーク。わからないことばかり。なんとなく感じるのは、
クリスチャンて…「男」「女」「クリスチャン」というくらい、異人種
それを何処か、面白がって見ているところがあります。(「姉妹」は、呼ばれるのも呼ぶのも慣れたけど、「兄弟」とは、まだ呼べませんf(^ー^;)
クリスチャンが、どのようなものか、語りたい…と思いながら、初心者マークの自分に、そんな大それたことなど出来たものではない、と思い…触れずに来たのですが…
「イエス様と二人暮らし(^ー^)」
なんて、ちょっといいな…と思い、書いてみる気になりました。
YAH♪☆0(^^0)*^^*(0^^)0☆♪YAH
日本のクリスチャン人口というのは、1%というのが大方の見方だそうです。何をして「クリスチャン」というのか実に曖昧なのですが、ま、洗礼も受けず、礼拝に通わなくとも、イエス様を信じているのを「クリスチャン」ということにしても、数パーセントでしょう。逆に言えば、
「洗礼を受けて礼拝に通って、聖書読んでお祈りしてればクリスチャン、というものではありません」
(#`皿´)<怒怒怒怒怒怒!!!
これは、私が通ってた最初の教会の牧師夫人がよく言ってた言葉です。
かたちや型式だけではダメ、ということですね。信仰のためには「殉教」も辞さない、という方でした。
エス様と自分との関係、これが大切なようです。
「祈り」とは、神との対話
いつしか私も、「祈り」を重ねながら神を身近に、傍(かたわ)らに感じるようになりました。そんな私に、
「イエス様と二人暮し(^ー^)」
というのは、とても、響いてきたのですね。
ただ、結婚されずに仕事をしながら停年を迎えられた方なので、「イエス様と二人暮らし(^ー^)」の境地まで、実に色々なことがあったのだろうと思います。とてもチャーミングな方ですし、或いは、「イエス様」が恋や結婚の障害になることがあったかも…。それも、所詮は「神(イエス様)の意志」。イエス様の許しがあれば結婚されたのだろうし、なかったから結婚されなかった。…クリスチャン的視点に立てば、そういうことなのでしょうか?
クリスチャンというものが、いかに「男」「女」「クリスチャン」というくらい不思議なものかということについては、次回に回したいと思います。
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