箱根神社のお守り(2)

前回のあらすじ
三輪の娘達(10歳・双子)と夫は一週間のサイパン旅行に出発する。三輪は父が倒れたため、予約をキャンセルしたのだ。見送る立場となった三輪は、娘達が心配でならない。クリスチャンゆえ、毎日、娘達が旅行を楽しみ、無事帰国できることを主に祈っていた。そして出発前、三輪と同じように孫を心配した義母が、娘達に箱根神社のお守りを渡す。聖書では「偶像崇拝」を厳しく禁じている。義母の気持ちはわかる。お守りくらい…と思っていた三輪だが、その生真面目さゆえ、だんだんに気になり出し…。(つづく)
クリスチャン歴、まる3年。4年目がスタートしたばかりの新米クリスチャンです。聖書もまだちゃんと読み切っていないし、わからないことは山のようにあります。でも、ひとつ言えることは、
エスさまをとても身近に感じている。
いつも、イエスさまと心の中でやりとりしている。
ってことなんです。
私の集うキリスト集会の責任者、ゴットホルド・ベック宣教師がいつも言われるのですが、
イエス・キリストキリスト教は全く関係ない。
宗教は人間が作ったもの。
宗教の中で一番批難されるのはキリスト教
初めて会った時、そう言われてびっくりしたんですけど、腑に落ちたんですね。
宗教は人間が作ったもの
これは説得力ありました。
それまで1年間ですが、通ってたところが、「人間がやってる教会」だと感じたこともあります。
私が毎週通う礼拝は、聖書のみ言葉のみに立ち、主、イエス・キリストを救い主と崇める者達の集まりのようなところです。
エスさまを頭とした、大きな家族のようです。(初代教会に例える人が多いです)
で、箱根神社のお守りに戻ります。
改めて、
お守りって何だろう。
と思いました。
義母が苦労して手に入れたわけでもない。
義母は箱根神社に日参したわけでもない。(箱根神社に意味はない)
仮に娘達に何かあったとしても、箱根神社に文句言わないよね。
果たして義母は、お守りを信じているのか?
という疑問まで湧いてきました。
結局、
ただの気休め。
なんだと思いました。
振り返れば、私も大学受験で、
色んなお守りを集めて、友人から、
お守り同志が喧嘩するで。
と言われたことがあります。
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
まぁ十代ですから、気休めも必要でしょう。
で、お守りどうするか…。
別に、私や娘達がお守り信じてるわけでもないし、旅行アイテムとして持参してもいいのでは…
とも考えたのですが、
何処か言い訳めいている。
生真面目な私は、親しい姉妹(女性信者)数人にメールで尋ねてみました。
実を言えば、こうすることで、
エスさま、私なりにここまでしたんですよ。
みたいな、やっぱり言い訳したかったわけです。
そしたら…
娘の出産に際して、夫から(娘に)安産のお守りを渡して欲しい、と言われて…
と自らの経験を語るK姉妹…。
「渡せないよ、お父さん」ときっぱり言ったら、「ああ、そうか…」と夫はあっさり引き下がったとか…。
クリスチャンとして尊敬するF姉妹は、
「お義母様のことを祈りましょう」
とありました。
確かに、このまま知らぬ顔していれば、義母は変わらずお守りを買い続けるでしょう。
そして永遠の滅びへと堕ちていく…のを、クリスチャンとして見過ごすのは、いかがなものか。
そして、イザヤ書にある偶像礼拝を禁じるみ言葉を引用して、
「姉妹(=私)が神様との間に後ろめたい感じをもつことがないよう祈っています」
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
このまま娘達にお守り持って行かせても「後ろめたい」感じをもつことはなかったのが、F姉妹にこう(メールで)言われると、
後ろめたい。
ような気持ちになってしまいました。
ドモ\( ̄▽ ̄*)(* ̄▽ ̄)/ドモ
エスさまとは言いたいことを言う、裸の付き合いをしてきたつもりだったので、
どうすることがイエスさまを喜ばせるのか
考えた時、やはり、すべてを明らかにする(義母にお守りは持って行けないと告げる)べきだと思いました。
だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳(い)たのだろうか。見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工したものが人間にすぎないからだ。
イザヤ書44章10、11節)
わたしが主である。ほかにはいない。わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。
イザヤ書45章6、7節)
のみ言葉を引用し、義母にメールを送信しました。
返信はありませんでした。
娘達は無事、黒いデブと化して帰国致しました。