日本のクリスマス(2)

クリスマス、終わってしまいました。

クリスマス終わるまでにブログ更新するつもりが…すみません。
「お正月どうやって過ごした?」みたいな感覚で「クリスマスどうやって過ごした?」という会話に、私も信仰のなかった頃は違和感ありませんでした。
統計によると、平成では「クリスマスの過ごし方」について、「家庭で過ごす」が圧倒的に多かったとか。
不景気の影響かと思います。バブルの頃なんて…数カ月前から有名ホテルの予約殺到でしたから。
外国では、やはり「家庭で過ごす」のが普通で、出かけるなら礼拝のようです。
主イエスの誕生を祝うクリスマス、ご馳走作ってプレゼント交換して、家族で祝うのは自然な光景ですね。
でも、日本の場合…

家族で何を祝うんでしょうね?
ああ、私も家族で祝ったことありました。手料理じゃなく、ローストチキンとか…それらしい料理並べて。「メリークリスマス!」とか言って乾杯したんでしょうね。
日本におけるクリスチャン人口は1%に満たないそうですが、
「礼拝に通って献金して、洗礼受けてればクリスチャン」
というのでは、ないのですね。
サンデードライバーーにならって、
サンデークリスチャン
という言葉があるようです。
心は空っぽ(信仰なし)でも、礼拝を守り、聖書を読み、祈りを捧げていれば、
自他ともに「クリスチャン」と思ってしまう。
信仰は「かたち」ではなく、「心」です。
イエス・キリストを自分の救い主として畏(おそ)れ敬い、祈りの日々を送っていなければクリスチャンではない。
そう考えれば、日本のクリスチャン人口はいったい、どれくらいになるのでしょう?
逆に言えば、
教会にも行かず、洗礼受けてなくても、クリスチャンになれる
ということですね。
祈りは神との対話ですから、祈りを通してイエス・キリストと深く繋がっていればいい。
ところで、
クリスマスを休日にしている国は多いそうですが、日本においても、その動きがあるとか。
(韓国はクリスチャン人口が3割以上で、だったら休日にするのもわかるけど)
なんでや。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
(ルカの福音書2章11節)
誤解されやすいと思うのですが、クリスマスはキリストの「誕生を祝う日」であり、「誕生日」ではないのです。聖書にはキリストの誕生日がいつかは記されておらず、諸説あるようです。また、「クリスマス・イブ」について、私は長い間、「クリスマスの前夜祭」かと思っていたのですが

キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イブと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。
のですね。
最後に、1552年に現在の山口県山口市において、カトリック教会(イエズス会)の宣教師であるコスメ・デ・トーレスらが、日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行ったのが、日本で初めてのクリスマスなのだそうです。しかし、その後江戸幕府の禁教令によってキリスト教は禁止されてしまいます。日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まった、ということです。