「審判」(2)

この芝居は裁判劇の型式をとっています。
と言っても、登場人物は法廷で証言する被告、アンドレイ・ヴァホフただ一人。
ヴァホフの証言に登場するのが、ともに第三突撃師団で戦った大佐や少佐…など6名、そして発見者であるドイツ人中尉、判事達…。
多くの裁判劇は、判事、検事、弁護人、被告、証人…が登場して事件の真相が次第に明らかにされ、大ドンデン返し…が定石。被告の証言だけでドラマを語るというのですから、非常に大胆な手法です。
一人芝居というと、一人で何役もこなす、というのも多いですが、これは、ホントに、被告のヴァホフだけ。それも、証言台に立ちっぱなしですから、
ト書きありません。
言うなれば、主人公が137ページにわたる長台詞をしゃべり続けてるというもの。
ハッキリ言って、朗読劇でもいいような…。
・・・(゚ω゚;)(-ω-;)(゚ω゚;)(-ω-;)ウ・・・ウンウン・・・
台詞の中身がまた、凄いです。例えば、こんな…
詳しく申しましょうか、好きな所を取るために、人間を解剖して、何処が一番おいしいか…そうですとも、〜人には、ちゃんと好き嫌いができるのです、こんな場合にさえ、いつもと同じように。腰でしょうか、それとも腿肉か?腎臓か――肝臓か?〜人間一人を6人がかりでバラバラにするのに何分かかるか、歯と爪だけを使って?何故、(こうした場合)往々にして生殖器は後回しにされ、頭は最後まで手をつけられないか?暖かいのと冷めたのと、どちらが血はうまいか、同志諸兄?言いましょうか?私の独自な発見を報告しましょうか?
――私たちはまた食べた…〜いつも全員で、いつも同じ場所で、最後の骨まできれいにして、頭と、ほかに残すのはわずかだけ…そして、私は驚いたのです。
自分の肉が元気になっていく素早さに。再生を感じました。新しい血、新しい細胞、新しい命…
シ──(-ω-)(-ω-)(-ω-)──ン
もはや、私如きに何が言えんねん(っ*´ё`)b  
第二次世界大戦中、南ポーランド、カトワイス国境の聖ピョートル・ラビノヴィッチ修道院において、5月23日から7月22日までに起こったこと…。
7名のロシア人捕虜は裸。裸は、気力を失わせるそうです。「待つしかない。とにかく」――自らの精液を飲み、血をすすり…。
そして…
「殺し方」について籤(くじ)を使うことが全員一致した意見で決まります。
死刑執行人を作りたくなかった。
責任はみんなで負うべきだ。
籤で選ばれた同胞は、全員の手で窒息させられるのです。
7名のうち5名が食べられて、2名が残りますが、1人は発狂しました。(現実には2名とも発狂したそうです)ヴァホフは自らを、
やり遂げた男
生き抜いた男
( ̄ω ̄)(ーωー)( ̄ω ̄)(ーω−)
と言います。
5名、それぞれの死に方(食べられ方)も描かれます。
これ、法廷での裁判劇にしたところが正解。どんな生々しい状況も、観客の想像の世界ですから。
それにしても、この戯曲…。
「橋田(壽賀子)先生の長台詞には泣かされました」
という俳優の声をよく聞きますが、せいぜいが台本、数ページでしょう。これは、
137ページ、本1冊やで( ̄へ  ̄ 凸
その上、物語性がなく、極限状態の(食った食われた)描写が延々と続く。
2時間半、一人でしゃべりっぱなしやで。
((((;゚;Д;゚;))))カタカタカタカタカタカタカタカタカタ
「戦争という狂気」、人間の「理性」と「錯乱」、「正常と異常」…。作者は究極のテーマを鋭い刃にして突きつけます。凄いと思う。恐ろしいです。でも…
これ、誰がやるねん。
ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!
本1冊、暗記ですぜ。
で、イギリスで初演された時、演じたのは「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥール大変な反響を呼んだそうです。その後、この役を演じた、コリン・ブレークリイは、
「この台本を初めて見た時、私は思った。(畜生、どうぞ、この台本が好きになりませんように!)だが、もちろん 気に入ってしまった、そして、作者を呪ったよ、これを上演しなければならないことがわかっていたからね」
そして、日本では1980年に加藤健一が演じていますが、その前に、
江守徹
が日本初、文学座アトリエで公演しました。
もう、役者って…( ̄▽ ̄;)