大震災の意味

まずは残念なお知らせです。
来る3月28日、青山学院で行われるはずだった、我らが「アラ100のマドンナ」こと96歳の現役写真家、笹本恒子さんがパネリストとして参加するシンポジウムが無期延期となりました。
http://kg-sps.jp/blogs/hata/files/2011/01/7fd31ddb3cb716bb445faf740e60bf3f.pdf
先生の方は、「中止になればいいのに」と前々からおっしゃられていて、お喜びなのですが。(対談相手の資料読むだけで大変(-_-;…と)
さて…。
今日は朝一でスーパーに行って、
5キロの米をGET!
あ(^○^)り(^。^)が(^∇^)と(^O^)う(^ー^)ノ
昨日は昨日でトイレットペーパーGET出来たし、一安心。
米は無洗米でないし、
トイレットペーパーも、花柄の香り付きではないけど…
しみじみと、
豊かさや有難みというものを実感しました。
便利さや贅沢が、あたりまえになって、麻痺してたことに気づきます。
被災地で避難所暮らししてる方にすれば、いかにも「お気楽」ですが、得難い経験だと思いました。

「神サマハ、我々ガ『欲シイ』モノデハナク、『必要』ヲ満タシテクレル。コノ間ノ地震モ、誰モ欲シガラナカッタ、主ノ赦(ゆる)シダッタ。神ハスベテヲ長イ目デ見テオラレル、我々ハ長イ目デ見ラレナイカラ理解デキナイ。デモ必ズ時間ガタテバ、ワカル時ガキマス」
3月7日のブログで紹介したドイツ人宣教師ゴットホルド・ベック氏の言葉です。
ベック氏については、http://www.christ-shukai.net/shukai.html
この度の震災で、自分なりに考えました。
罪もない人々が、ある日突然、
住まいを失い、
家族を奪われ、
仕事を失う…
九段会館で卒業式をしていた生徒の気持ち…
校舎を失った小学生の気持ち…
街を丸ごと無くした住民の気持ち…
何故。
神がいるなら、どうして、こんなことが起こるのか…。
それは、今に始まったことでなく、
罪無き人々を犠牲にした大戦。
あってはならない原爆の投下。
世界的視野からすれば、幾らも幾らもあります。
クリスチャンになったものの、
神がいるのにどうして…。
シ──(-ω-)(-ω-)(-ω-)──ン
その謎は解けず、答えを求めるようにベック牧師のメッセージを聴きに行きました。
でも、答えは、
「人間ニハワカラナイ」
"゚.+:。('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)゚.+:。 ウンウン"
どこかで頷いてる自分。
だって、神は、
その一人子であるイエス様に、
茨(いばら)の冠をかぶせ、鞭で散々になぶられ笑い者にした挙句、
十字架に張り付けた…
・・・(゚ω゚;)(-ω-;)(゚ω゚;)(-ω-;)ウ・・・ウンウン・・・
十字架に掛けられたイエス様、あまりの苦しさに、
「どうして、私をお見捨てになったのですか?」
と神に叫ばれたとあります。
「主ノ満タシ二アズカルタメニハ、自分ガカラッポデアルコトヲ認メルコト」
「何モ隠サズ、神ノ前二正直ナ自分ヲサラケダスコト」
「自分ノ支配権ヲ神二委(ゆだ)ネルコト」
なのだそうです。
天災、人災…以前に、歴史をひもとけば、
キリスト教弾圧の時代、
世界で宣教師やキリシタンが、どれほどの犠牲になったことか…。
その犠牲の上に、クリスチャンが平和に暮らせる今の時代があります。
この日、集まった信者の信仰はあつく、
今回の震災で、
形のあるものはすべて滅びる。
再臨(世界の終わりの日に、最後の審判を下すため、再びイエス・キリストがこの世に現れる)は近い。
という声も…。
被災地である仙台の信者から届いたメールを読み上げた信者がいました。
「『私は親を喪いました。残された震災の遺族に対して、少しでも被害の少ないことをお祈りします』ということです」
":*・゚☆.。.:*・゚£(。・""・)o[†...Thanks...†]o(・""・。)β。.:*・゚☆.。.:*"