姦淫(かんいん)(1)

週末思いがけぬアクシデントが続き、更新出来ませんでした。
アクシデントは現象面でも精神面にも起こり、
現象面では回線の故障で電話にインターネットが使えなくなり、
精神面では通っていた教会から、厳しいお叱りを受けて、絶縁されることになりました。
叩き出されたわけです。
その原因というのは、先月発売になった「女性自身」に私が書いた笹本恒子さんの記事。
「シリーズ 人間」という7ページにわたる記事が、
(クリスチャンとして)「姦淫」(かんいん)に当たる
というのですね。
「シリーズ 人間」はノンフィクションです。
笹本さんが神社で「昭和」を振り返る講演を行い、毎日、仏壇に手を合わせ、墓参りに行くという記述が、クリスチャンとして「許されない」行いという指摘でした。
笹本さんは、決して仏教徒ではありません。神社の講演依頼によって講演を行い、日本人として普通に仏壇に手を合わせ、墓参りをする。去年、笹本さんの96歳の誕生日に、私は聖書を贈って喜ばれました。
記事を書きながら、一点の迷いもなかったわけではありません。しかし、私はライターとして、「笹本恒子」という人物を客観的に描く、それが仕事。笹本さんのことは、ずっとかたちにしたいと思っていたのが、やっと実現出来て、神の祝福だと思っていたのです。
「これを読んだ読者はどう思いますか?」
牧師夫人に問われました。
確かに、文脈の中で「仏壇に手を合わせる」ことも「墓参り」も、肯定的に書かれています。(というより、客観的に書いても、日本の風習の中では肯定的に取られるしかないのです)
それはつまり、
「間接的に仏教を礼賛(らいさん)している」
ことになるのかもしれない。
そう思いました。掲載先は、発行部数40万部を越える大衆誌。その影響力を思えば、クリスチャンとして、自覚や配慮にかけていたかもしれない、反省もしました。私は自ら、
「この教会に通う資格がないと思います」
そう言って、退座しました。
帰宅して…。
掲載号の「女性自身」を処分するべきだと思いながら…
できませんでした。
それどころか…
6月の舞台講演に際して、これからプロデューサーと協賛先を回ることになります。そこへ、
「女性自身」の記事を名刺代わりに配る予定でした。また、
笹本さんの写真展を展開するにつけて、
先方に笹本さんの資料として、「女性自身」の記事を渡すことになっています。
もう、進退極まってしまいました。
「女性自身」の仕事は、100%以上の満足を得られ、本当に神の祝福だと感じていたのが、その逆、神への「裏切り」だと言われたのですから、混乱します。
迷いに迷って、教会にメールしたら、
こんなメールを送ってくるのは、「悔い改め」がなされていないということ。二度とメールしないで。
ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!
妥協のない教会でした。密度の濃い教えを習得しました。心から敬服し、感謝しています。自分の中で「女性自身」の仕事は封印しようと思いました。
そして…その顛末(てんまつ)を笹本さんに電話したら…
「だって、あなたが仏壇やお墓に手を合わせたわけじゃないでしょ?」
と言われ…。
「仕事でしょ?私が仏壇に手を合わせて、お墓参りに行くことを記事にして、何が悪いの?そんなこと言ったら、何も書けないでしょ」
確かに…そうなのです。私は、書いていきたい。自分が正しい、と思うものを書いていきたい。
「牧師夫婦は、信仰のためにあらゆることを捨てて、殉教も辞さない、という覚悟で…」
「他にも教会はいくらでもあるでしょう。その人に聞いてみなさい。記事にしたことが本当に悪いことなのか、って…。私は、その教会が許せない。そんなこと言って、人の人生、滅茶苦茶にして…」
この時、目が覚めた思いでした。牧師夫婦はキリストではない。聖書を学び、キリスト者として立派だと思うけれど、キリストではない。私は、これから、自分に合った教会を探せばいい。
笹本さん、心底、お怒りでした。そして…
「その教会には怒りを覚えるけど、レイコはバカよ…」
レイコはバカよ…。そのお言葉に、たっぷりの愛情を感じて、生き返ることが出来ました。
あ(^○^)り(^。^)が(^∇^)と(^O^)う(^ー^)ノ