祈りは聞かれる(3)

て、そんなわけで毎週日曜に娘達と近所のK宅へ礼拝に通い、クリスチャンになった私であった。

夏には娘達と伊豆大島へ合宿に出かけ、海で洗礼も受けた。イエス・キリストを受け入れ、自分の主(主人)として信頼することを、業界では、

救われる。

という。私は、色んなことから救われた。一番には、

死の恐怖から救われた。

私は人一倍、死の恐怖が強かった。死んだらどうなるのか…?

それが、イエス・キリストを信じる者にとって、

死後は天国なのである。

幼い娘達も、幼稚園の頃から死を意識し、異様に怖がっていた。

「死にたくない」

と言われて困ったこともあった。それが礼拝に通うようになってから、なくなった。

私にとって人生最大の「死」の問題が解決したのであるから、他にも問題はあるが、とにもかくにもよかった。

3月にK宅の礼拝に通うようになり、聖書を学びイエス様を知った。祈ることを知り、偶像崇拝が罪であることを知った。

占いもやめた。

しかし、1年後、私はこのK宅の教会を出ることになる。

追い出されるのである。

理由は、私が仕事で女性週刊誌に書いた人物取材記事が、Kさんの目に触れ、

宗教的な姦淫

と指摘された。具体的には、

取材した人物が、毎日仏壇に手を合わせ、墓参りを欠かさない。

と表記したことで、

仏教礼賛

というのである。もう一度いう。

私が仏壇に手を合わせ、墓参りするのではない。

取材先がそうするのを、そのまま事実として書いたのである。

Kさんが言うのに、そこで私は葛藤(かっとう)しなかったのか、祈ってみたか…?

Kさん夫婦は、3人の子を小学校や中学へ通わせず、「ホームスクール」というかたちで家庭学習させている。(小学校・中学校には籍だけ)

信仰ゆえにご主人が仕事を辞めた(牧師の資格をもちながら、料理人として働いている)こともあるらしい。

そういうことを鑑(かんが)みれば、私はクリスチャンとして失格だったのかもしれない。しかし、

私は週刊誌に書いた自分の仕事を恥じる気持ちはないし、これからの営業に使おうとも思っていた。

この仕事を「封印」せよ、というKさんの命令には従えなかった。

そして、今から思えば、Kさんがあの女性週刊誌を手に取って見たことも…主が働かれたとしか思えない。