告白(2)

皆さま、本日もご訪問、ありがとうございます。
執筆記事の掲載された「女性自身」のCMが二話入りまして、お待たせしました。
「告白2」です。
前回のあらすじ
告白―ここに語る「告白」は、湊かなえの小説ではない。まして、「恥の多い人生でした」「聞くも涙、語るも涙…」の「告白」でもない。信仰告白キリスト教などで、自己の信仰を明白に表現すること、である。それはつまり、「神様(イエス様)を信じます」と言うこと。これによって、業界では「救われた」と言い、死ねばパラダイスに行けるとされる。三輪は昨年、5月、その意味がよくわからぬまま、「告白」し、その後、洗礼を受けたのであった。
私もそうでしたが、クリスチャンは死ねば天国に行ける、って、あまり知られてないようですね。
「私はクリスチャンなので死が怖くありません」
テレビで俳優、宇都井健が語っていたので、私は初めて知りました。何でも、クリスチャンの葬式は明るいのだそうです。何しろ、永遠の命を与えられ、夢のような楽園に旅立つのですから。
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
教会で、時々話題になります。
息を引き取る寸前の身内に、
「神様、信じる?ね、信じる?」
半ば誘導尋問で「うん」と頷いて…コトリ。
果たして、パラダイスに行けるのか…?
教会では一番の新参者である私には、まだよくわからない世界なのですが。
マタイの福音書に、早くにクリスチャンになった者も、晩年になった者も等しく天国へ迎えられる内容のことが書かれてあります。なぜなら、神は一人でも多く、天国へ迎え入れたいから。
それからすると、死刑囚が刑の執行前に神に祈りを捧げるのも、ただの気休めではなく意味がありそうです。心から悔い改めれば、罪は許され、天国へ迎えられる。
ヨハネ福音書15章16節に、こうあります。
「あなたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」
キリスト教との出会いが、自分の意志ではなく神の選択であり意志であるなら、息を引き取る寸前に、その人はキリストと出会い、救われた…。それなら納得出来ます。
前置きが長くなりました。
何を言いたかったかというと、入院中の伯母が、
「もう、ベッドで寝返りも打たれへんみたいや。死ぬの待ってるだけですわ。つらいで〜"(-""- )"」
昨年、父から電話報告を受け、ずっと心が痛んでいました。
子供の頃から可愛がってもらった伯母でした。夫に先立たれたり、働き者で苦労の多かった伯母。善人で地味で、欲のない人でした。それが、病院のベッドで寝たきり…とは。
何とかしてあげたい。
このまま、死んで地獄へ行くのなんて我慢出来ない。
キリスト教なんて、殆ど名前しか知らない伯母だろうけど、何とかして「告白」して欲しいと思いました。幸い、ベッドの上でも祈ることなら出来る。祈るだけでも、精神的に安らぐのではないか。死後、天国に迎えられると思えば、死の恐怖から回避出来るのではないか。
教会に相談すると、
「ちゃんとした教会なら、牧師が病院にも行ってくれるから」
とアドバイス地元の教会を探して相談すれば、ということでした。
で、昨年末、父に電話で話したところ、
「本人はもう、覚悟出来てんねん。何の不安もないしな、満足したはります」
ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!
父が見舞いに行った際も、何の不満も言わなかったそうです。
「年やからね。だんだん、覚悟も出来てくんねん」
はなから宗教なんて信じてない父は、今更、物々しく騒動を起こして欲しくない、ようなのですね。その気持もわかります。80にもなる寝たきり老人が、ベッドから起き上がって動き回れるようになるはずもなく…。なるべく楽に静かに、逝ってほしい…のでしょう。
もう、自己満足でもいい。
精一杯のことをしてあげたい。
年末、実家に帰省した折、私が病院に見舞いに行き、「告白」を勧めることにしました。
このまま、ベッドの上で、裏返った虫のように天井見てる伯母を放っておけなかった。
|* ̄Д ̄*||*-д-*||* ̄Д ̄*||*-д-*|ウンウン