告白(3)

「生き様」というのはよく耳にしますが、「死に様」というのもありますね。
どんなふうに死ぬか。
そして「生き様」はある程度、自分の意志で選べるけれど「死に様」はそういかない。
自殺でもしない限り。
よく「お迎えがくる」なんて言い方をされますが、「お迎え」って何でしょう
「天寿」とニュアンスは近いような気がするけど、「天寿を全(まっと)う」したと言われる人って、なかなかいません。
極めていい加減、且つ、「死」という現実をオブラートに包んでますよね。
意味がない。
一体、「死に様」はどうやって決まるんだろう、と思います。
健康を心がけ、真面目に生きてたから長生きするとは限らず、
不健康に適当に生きたから早死するわけでもない。
幼い子どもを残して無念の死を遂げる人もいれば、
自殺する勇気がないまま、ずるずると生き延びる人もいる。
人生の頂点で不慮の死を遂げる人もいれば、
生地獄をさ迷う人もいる。
全く不可解です。
「自分の人生」と言うけれど、気づいた時には始まっていて、どんなふうに終わるかも、ままならないなんて…。
キャ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
続けて言うなら、
善人が長生きして悪人が早死するわけでもない。
立派な仕事を残し、多くの人から尊敬され愛された人も、
悪行を重ね、人々の恨み辛み…を散々に買った人も、
関係なく老いや病は訪れる。
……だんだん、怒りが増幅してきたやんけ!!!
酒や酒〜
|* ̄Д ̄*||*-д-*||* ̄Д ̄*||*-д-*|ウンウン
はい、すみません。
人間なんて所詮、
無力やねんなぁ…
生も死も思うままにならず、
生かされてるだけやん。
と思うわけです。

あなたは、どんなふうに死にたいですか?
理想の「死に様」は?
イクナ--(゚∀゚)-( ゚∀)-( ゚)-( )-( )-(゚ )-(A゚ )-(゚A゚)--イ!!!!!

そして今…。
寝返りすらままならない、寝たきりの伯母がいます。
「寝たきり」なんて、なりたいと思う人はおそらく、いないと思いますが、高齢になれば特別なことでなく、ざらにあるようですね。
伯母の弟である父が、
「あんなんになるねんやったら、何でもする、思た…」
厳しい現実です。働き者だった伯母。職場を定年になってからも、早朝からせっせと農作業に精を出し、地道に生きていました。ここへ来て、寝たきりの生活とは…。ベッドの上で、致し方なく振り返る人生模様は…。
牧師夫人瑛子さんは言います。
「人間界での『社会的評価』なんて、関係ありません。神を信じるか信じないか、受け入れるか、受け入れないか、で二分されるんです」
理屈はいいのです。私は、神を受け入れました。伯母が神を受け入れるか受け入れないか…待ってる時間はない。
受け入れてもらうしかない。
1月4日。伯母の入院する病院を父と二人の娘と、伯母の息子である従兄と訪れました。
病院に着いてからも、オムツ交換とやらで結構、待たされました。別の病室から、入院患者の叫び声が聞こえてきます。
対面した伯母は、肉が削げて骨と皮ばかり。人相が変わっていました。それでもベッドをリクライニングにして「おめかし」モード。私の前で、とっておきの「ポーズ」をとっているのはわかります。
伯母はまず、8歳になる双子の娘達を見て、「これからもっと、可愛くなるで」と言いました。思うに、命果てようとする時、新たな生命が眩しく、尊く…感じられるようなのですね。伯母の一人息子である従兄は未婚で、伯母には孫がいません。
いかにして伯母に、「(信仰)告白してもらうか」――。伯母には年末、手紙を書きました。会ってからでは間に合わない。いきなり「キリスト教」では寝耳に水で戸惑うだけ、と思い、手紙に私の思いを託しました。私がクリスチャンになったこと。伯母が天国に召されるよう、毎日祈っていること。ベッドの上でも「祈る」ことは出来るから、イエス様を信じて伯母にも祈って欲しいこと…。
父も従兄も娘達も…伯母と話はないようで、自然と伯母と二人になりました。伯母の骨ばった手を握って、私は言いました。娘達と毎週、教会に通っていること。エス様を信じてほしいこと。
「伯母ちゃん、イエス様を信じてくれる?」
生ける魂となった伯母、ただ頷きます。頷くしかないだろう、と思います。ダメ押しのように「信じる?」と聞けば、頷く。それでは心元なくて、何とか、「信じる」と口にしてもらおうと…。
「伯母ちゃん、イエス様を信じれば、天国に行けるから……」
伯母は言いました。
キリスト教、ええ教えや」
そして、
「信じる」
と…。
ε=ε=ε=ε=( * ̄▽)ノノ
帰りの車の中、瑛子さんにメールしました。あちらで「取りなしの祈り」をしてくださるとのこと。「取りなし」とは伯母の中にイエス様への信仰がしっかりと根付くように、悪魔の邪魔が入らぬように…する祈りだそうです。