「屋根の上のバイオリン弾き」(1)

屋根の上のバイオリン弾き」――ミュージカルとして映画として、あまりにも有名ですが…。原作はショーレム・アレイヘムの短編小説「牛乳屋テビエ」。
そもそも…「屋根の上のバイオリン弾き」って何でしょう?
漏れ聞くところによると、
主人公の父親、テビエが屋根の上でバイオリン弾いてる
と思ってた人間がいるとか…。
そんなアホ、どこにおるねん〜(`□´) コラッ!
はい、ここにおります。すみません<(_ _*)>
森繁久彌上條恒彦西田敏行…今は市村正親だそうですが、
いかにも、屋根の上でバイオリン弾いてるのが絵になる
などと思い込んでいました。ああ、恐ろしい…"(-""- )"
冒頭に登場します「屋根の上のバイオリン弾き」――何故かいるんですね。理由も説明もなく、屋根の上でバイオリン奏でる男が登場するのですよ。
これは主人公、小さな村で牛乳屋をしながら5人の娘をもつユダヤ人の父親、テビエが解説するところの、「トラディショナル」=「伝統」であり、
わしらはみんな、屋根の上のバイオリン弾き、首を折らないようにしながら、楽しい素朴な音楽を奏でようとする。と続きます。
「トラディショナル!」
この「トラディショナル」が全編を通してテビエの口から発せられます。いつも帽子をかぶっていることや腰から神への信仰のあかしである「祈りの布」を下げているのも「トラディショナル」だと。「馬鹿げとる」とテビエも言います。それでも頑なに守らなければ壊れてしまう。ユダヤのしきたり(トラディショナル)を重んじて生活しながら、それが刻々と移ろい、失われていくのを予期しているのです。
この「屋根の上のバイオリン弾き」、娘達の結婚を柱にしています。貧しい牛乳屋のところに五人姉妹ですよ( ̄0 ̄;)
映画の冒頭は仲人のイェンテ(老未亡人)がテビエの長女に縁談をもってくるのですが…。
「どんなにひどい主人でもいないよりはいい」
と言います。まだ20歳にもならない長女にハゲ男を連れて来たりして。ハゲを嫌がる娘に「毛なら猿でもあるわよ」と母親が娘に説得するのですから笑えます。
で、今回の縁談も、金と名誉はある肉屋。妻を喪い、やもめ暮らしで子もなく、寂しい暮らしをしながら長女を見初めるのです。ちなみに、父親、テビエより年上です。
テビエとしては、やはり「金持ち」が良いわけです。知り合いの肉屋のオヤジが長女を見初め、結婚したいと言っている。葛藤を抱えながら、デビエは肉屋のオヤジに言います。
「(5人の娘がいるわけですから)息子がほしかったよ」
「…」
「でも、私より年下がよかったけどね」
シ━━(^(^(^(^(^(^ω^;lll)━━ン
結局、長女は、以前より愛を誓い合った仕立屋(=超貧乏)と結婚し、テビエもこれを赦します。亭主関白のようで実は妻に頭が上がらない。娘達には頑固な父親のようで、実は限りなく優しい。
テビエはユダヤ教信者。
「聖書は言ってる」
がお得意で、すぐ引用するのですが、適当なところが多い。でも、だからと言って信仰心がいい加減というのではない。感心するのは、テビエが神といつもおしゃべりしていること。愚痴も文句も言うのです。安息日の前に馬の足がいかれるなんて、ひどいじゃないですか"(-""- )"」みたいな。
牧師夫人、瑛子さんも言います。
「子供が親に言うように、神様にどんどん、文句や不満を言ってください。泣きついてください。『神様、苦しい、何とかして〜』って。私も、夜中にベッドで叫んだことがあります(  ̄ー ̄)ノ 」
別に、叫んだから聞き入れてもらえるわけでもないし、勿論、神の返事が聞けるわけでもない。すべては「神の御計画」。それでも、そうすることが神とのコミュニケーションであり、神を身近に感じることなのでしょう。
ユダヤ教は『旧約聖書』を聖典としています。つまり、新約聖書』がすべてイエス・キリストとその教えに従う者達の書であるのに対し、『旧約聖書』はそれ以前。つまり、モーセ十戒」は守っても、イエス・キリストの存在は認めてないんですね。(ユダヤ教については、これから勉強します<(_ _*)> )
ユダヤ式の結婚式なのでしょう。貧しい仕立屋と長女の結婚式は日没を待ち、屋外でロウソクの明かりの中で始まります。
それぞれに正装した村人が手に手にロウソクを持ち、明かりの中で新郎・新婦が祝福に包まれています。決して豪勢ではないけれど、何とも荘厳で厳粛で…美しい。
「結婚」というものが、非常に厳粛な契約であり、儀式なのだと感じさせられます。
そして、BGMに流れるのが、あの名曲、「サンライズサンセット」…。
http://www.youtube.com/watch?v=3UOsg2_hc7g
ところが…最高の宴に「ユダヤ迫害」の魔の手が乱入します。