死の問題の解決(3)

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」ヨハネ福音書16章16節)「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです」
(コリント人への手紙Ⅰ1章21節)
振り返れば、私は神を求めていたのだろう。クリスチャンと知り合って、礼拝に行ったこともある。
しかし…私の心に届いては来なかった。
私の心に届いたと言えば、それから十年以上経って私は母親になっていた。「私はクリスチャンなので、死が怖くありません」
テレ朝の番組で俳優の宇津井健が、こう言った。宇都井健は好きでも嫌いでもなかったが、平気で出鱈目言う人物とは思えない。そして…これは私にとって爆弾発言だった。
著書の宣伝でテレビに出ていたような記憶があるが、クリスチャンになれば死が怖くない。
これはいい。
と思った。
クリスチャンにとっては「死ねば天国」なのだから、「死」は怖いどころかハッピーなのだ。
だからと言って、それからクリスチャンになろうとしたわけではない。
けれど、この、宇都井健の言葉は、私がクリスチャンになるための、神が計画された、
プロローグ
だったような気がする。
それから私は、娘達のママ友が自宅で礼拝している(夫が牧師の資格を取り)ことを知り、日曜礼拝に通うようになった。当時、小学2年生だった娘達が、何故か、私に付いてきたのがとても不思議。自転車で5分くらいのところにあった。バイブルスタディが、半端なく面白かった。
聖書には、私が今まで誰も答えてくれずに悩んでいた問題の答えが、すべて書かれてあった。
それをすべて理解し、納得出来たわけではない。
けれど聖書と出会って、
これは、神の言葉だ。
と思った。
聖書は、人生を生きるためのテキストだと思った。
これを、幼い娘達に与えられる喜びを感じた。