狭き門

「狭き門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」
マタイの福音書第7章13節、有名ですね。
聖書を学ぶようになって、つくづく感じること。それは…

右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい。
汝の敵を愛せ。
求めよ、さらば、与えられん。
等々…

…誰でも知ってる聖書の引用。「聖書にも書いてある」「イエス・キリストもこう言ってる」とか…。それで、説得力があるのか、ないのかはわかりませんが。な〜んとなく、説得させられたような気になってる私達…。
真面目に聖書を読んでると、これって、

ただ、便利に使ってるだけじゃないの?
都合のいいとこだけ、切り取ってるよね?
その背景を、全然考えてないよね???
と思ってしまうんですね。言ってる方は実際、聖書を読んで、その部分に感銘して引用してるわけでもなく、聞いてる方も、説得されたからって、聖書をひもとこうとは思わない。ただ、「聖書」に書いてる、ってことで、「説得力」あるような気になってる。これ、ある種、偶像崇拝…なのかも( ̄0 ̄;)
う〜ん、聖書が偶像崇拝になってるような傾向、確かに日本にはありますね。偶像崇拝を禁じてる聖書が、逆に、偶像崇拝されてる…それが日本。これ、ちょっとおかしな現象ですよね。確かに、旧訳・新訳合わせた「聖書」は、辞書くらいの厚さがあって、内容的にも自力で読破するには難儀なのですが…。それはさておき…。

振り返ると、私が今の教会に通い出したのが3月14日。それから4ヶ月以上、私、礼拝に皆勤賞なのですね。はい、毎週日曜、せっせと通い続けてるわけです。それは、まあ…

暇なんやろ。
デートする相手もおらんのやろ。
変わり者なんでしょ。

全部否定はしませんが、でも…
元来が怠け者。
夜型。
日曜なんて昼近くまで寝てる。
私にとって、この皆勤賞は驚くべきことです。行くの面倒くさ〜"(-""- )"と思ったこともないのですから。それはひとえに、

聖書の魅力!!!

に尽きます。私、元々、聖書には興味があって、何度か教会の礼拝にも行ったのですが、こんなふうに聖書を丁寧に指導されたことはありません。綺麗な教会で外国人の神父とか牧師が小難しいこと言って、黙って聞いて、献金とかして。何となく解散…。そういう意味で、みっちり3時間、聖書を勉強させてくれるこの教会、素晴らしいと思います。
"+;・ο。.・;+:+.。ο・;+*:゜・☆ヾ♪"

「教会」とは言っても、実は、ただの民家なのです。それも、「ALWEYS 3丁目の夕日」に出て来るような木造平屋。礼拝には牧師夫妻の子供達3人も参加して、ダイニングの大テーブルで聖書の勉強するんです。ちょっと目には…

ウサン臭!
大丈夫…???

と思われるようですが、すべてが手作りで実のある教会だと思います。何より、

聖書ってすご〜いm(_ _)m アリガトォ〜★

と、思わせてくれただけで、私にとっては感謝しかありません。ステンドグラスに白亜の教会…は見目麗しいしわかりやすいけれど、その裏側はわかったものじゃない( ̄へ  ̄ 凸……そういうものですよね?
で、今日のお題…。
「狹き門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」
聖書は、本当に美しい、真理の言葉の羅列で、それは「神の言葉」として全く納得のいくものなのですが、特にこの、「狭き門〜」には感動して、礼拝が終わったその足で、本屋でアンドレ・ジイドの「狭き門」を買い求めました。昔、買って読んだ記憶もあるけど、内容は全く忘れています( 。-ω-)-ω-)-ω-) シーン・・・
聖書は奥深くて、色々な解釈があると思います。特に、「これが正しい〜」と主張するつもりはありません。
「狭き門」って、何でしょう?東大?慶応医学部?エリートコース?いいえ、違います!「滅びに至る門は大きく、その道は広い」。これは、「偶像崇拝」なんですね。日本的に言えば、例えば、一流大学に入って一流企業に就職して、結婚して、マイホーム買って平和な家庭を構築するような…誰の批難も受けないような人生。確かに、「そこから入って行く者が多い」ですね。わかりやすいし、肯定しやすい。
でも、一流大学に入ったからと言って、一流企業に入ったからと言って、マイホーム買ったから、って、それで幸せでしょうか???
「いのちに至る門」…色々な解釈があると思いますが、これは、社会に迎合しない、社会から理解されない厳しい門だと思います。
「その道は狭く、それを見いだす者はまれです」とあるのですから、100分の1、いえ、1000分の1かもしれません。それは例えば、
「汝、殺すなかれ」
「姦淫するなかれ」
というモーセ十戒を、額面通りに、
「人殺しをしない」
「強姦、暴漢しない」
と取ることも出来ます。実際、そのように教える教会もあるそうです。が、より深く分け入って、
「相手を批難、攻撃しない」
「淫(みだ)らなことを考えない」
ということまで制限する。それが、「狹き門」。
そういう意味では、「豆まき」「雛祭り」「七夕」…も、
根拠も知らず、単に通過儀礼として「踊らされてる」だけ…
というふうに考えることも出来ます。
「七五三」なんて…貸衣装、神社のお祓いに写真撮影、お祝いの食事…万単位でお金が飛ぶようですし…

ヾ( ̄_ ̄ )/\( ̄ー ̄)/\(  ̄− ̄)ノ゛ドモモモ・・