天使によって開かれた地獄の第二の門。そこにダンテが見た地獄とは…
第六の圏(たに) 異教徒の地獄 ―キリスト教以外の異教徒が、墓穴で業火に焼かれます。叫び声を上げながら亡者達が墓穴から這い上がってきます。「永遠にこの、あばかれた墓の中で熱き炎にその身を焦がし続けるがいいのだ」――そう語るヴィリギリウスは、まるで悪魔。キリスト教徒でないだけで、このような火炎地獄に落ちるとは…。
日本人には納得出来ません。それは永井豪も同じだったようで、ダンテの言葉を借り批判の色を滲ませます。
「異教徒は大きな罪なのですか?」
「勿論、罪人だ。神の正しき教えに従わず、愚かにも間違った神をあがめた者達だ!謝った信仰の罪は深い!」
ダンテは納得出来ず自問自答します。南の国に生まれ、生涯、正しい教えに出会えず、その土地の教えを素直に信仰した者も罪人なのだろうか…?これほどの苦しみを受けねばならぬのか…?
――少なくとも、多くの日本人読者の声を代弁してると思います。苦しい修行を積んだお坊さん、世俗を断って得度した人…皆皆、地獄へ堕ちるのでしょうか?毎週、教会に通い、聖書の勉強してる身としては、「汝の敵を愛せよ」。主の前ではどんな罪も許される…のがキリスト教のはずなのに…。
キリスト教徒でないだけで、火炎地獄とは…。
それはないやろう〜(*`ε´*)ノ_彡☆バンバン!!
当時のキリスト教はこうだったのでしょう。この激しさが、後の魔女狩りへと発展したのかもしれない、と作者も後書きで述べています。地獄の最下層はコキュートスと言うのだそうです。あの、すり鉢状の一番先の所ですね。このコキュートスから吹き上げてくる冷たく、そしてきつい臭気のある毒ガスのような風が、地獄の下へ行くほどに激しくなります。
第七の圏 暴力者の地獄――1、(隣人への暴力)暴力により人の血を流し人の命を奪い、神をも冒涜した者の地獄――煮えたぎる血の海で永遠の苦しみを受ける。2、(自己への暴力)自ら命を絶った者(自殺者)の地獄――「自分を殺す罪は重い!こうして枯れ木となって、なすすべもなく朽ち果てるのだ!」3、(神と自然と技術に対する暴力)――不自然な快楽に耽った者達の地獄。熱き地を歩む者は男色に耽った者、熱き地に座り込むのは自然と神の賜りをしいたげた高利貸し、この地に伏せる者は神を侮蔑した者共…。
第八の圏 十の深い深い壕となり、十の異なる罪を裁く仕置き場。その壕の名をとって「邪悪の壕」と呼ばれている――「女を騙し、売り飛ばす女衒(ぜげん)」「権力にへつらい、甘言巧言を尽くして権力者にとりいる者共」…イカサマ、詐欺師、偽善者、盗人、ニセ金造り…。「善」には多様性を感じないけど、「悪」には限りがないのか…なんて思います。
また、「天国」のイメージってシンプルではないですか?光と天使、生き物と花…美しい自然に囲まれた楽園のような。それに引き換え、「地獄」…は奥が深そうですよね。ここでも、見事な「地獄」が展開されます。例えば、ドロドロのタールが煮えたぎる壕に沈められる亡者。生者なら、たちまち溶け崩れる高熱のタールに、地獄の罪人は溶けもせず、永遠の苦しみを味わう。怖いですね。この世なら「死」という終わりがあるけれど、あの世には「終わり」がない…。そして、タールの高熱を逃れようと表面に出てきた者は、鬼に銛(もり)で突かれ、再びタールの壕へ…。鬼達が歌うんですね。
「ほら釣れた 地獄の河の魚釣り〜」
歌いながら、浮上してきた罪人を銛で突くわけです。ああ〜手が込んでる。
こんなこと考えるダンテは、きっと「変態」。少なくとも、「不完全変態」!
他にも、金メッキが塗られた死ぬほど重い鉛のマントを着せられて、倒れて横になることも出来ず永遠の歩みを続ける地獄…。これは、その場限りの浅知恵で人気をとり、自分だけいい思いをしてきた者共の地獄。「偽善者にふさわしい惨めな鉛に金メッキのマント姿」とヴィリギリウスが笑います。強烈だったのは、「不和の種をまいた者共の地獄」。「一族の身内を仲違いさせて骨肉の争いをさせた者が、今度は自分が体を裂かれているのだ!」
「戦(いくさ)をけしかけた者はその口を」「悪い考えをふきこんだ者はその頭を」「心を惑わした者は胸を」…「鬼の剣が叩き斬る!」
ここに登場する「首提灯(くびちょうちん)」
自分の首を提灯のように(首のない体が)手に持っているのです。
「俺の首には足がなく、俺の肩には首がない」
この首提灯の主は、ベルトラン・デル・ボルン。12世紀の詩人で貴族。英国王ヘンリー2世の長男、ヘンリーをたきつけて父王にそむかせる。反逆は失敗に終わり、長男ヘンリーは死にベルトランは捕らえられ、その後、釈放され僧侶となって人生を終える。実在の人物だったようです。…となると、迫力ありますね。「二人をわけた報いがこれだ。俺も二つにわけられた」…て、究極のブラックジョーク 
ネオキワル〜 ~~ヽ(▼o▼) オイッス〜
「どうしてこうも、罰を受ける亡者が多いのです?どうしてこうも罪を犯す人が多いのです?…私は見るに耐えられません」
ダンテも音を上げます。前回、天使が叫びましたね。
「天を追われし者共!なぜ何度も叛くのだ!?なんど痛い目にあえばわかるのだ!?」
これ、ダンテの疑問と呼応しますね。多分、人間て「懲りない」んだと思います。例え地獄を経験しても、時が経てばまた、同じ過ちを犯すような…。ダンテが言います。
「師よ…人は一生のうちで何度か罪を犯してしまうのではないでしょうか?それこそが人ではありませんか?!」
ヴィリギリウスが答えます。
「人は愚かで人生は厳しい。…生きるとは、人生とは…神が人に与えた試練なのだ!!」
そして、
「ダンテよ!おまえがこの地獄で見たものを、人の世に伝える意味もそこにある!!人は死後の世界があることを知らねばならない!現世だけうまく生き抜こうとする者は、地獄で永劫の苦しみを味わうことを知らねばならぬ!」
説得力あります。
「現世が神によって人間性を試される場とわかれば、人の生き様も変わるやもしれぬ」
確かに…。「悪いことをすれば地獄へ堕ちる」と信じてる日本人がどれほどいるのか…。ただ、キリスト教では死後の天国・地獄が明確に存在していて、キリスト教信者、クリスチャンは天国、永遠のパラダイスに行けるのだそうです。なので、「クリスチャンは死ぬのが怖くない」ようです。
「ダンテよ!おまえがこの地獄で見たものを人の世に伝える意味もそこにある!!…おまえのたぐいまれな詩の力で!!言葉の力で伝えるのだ!!」
ヴィリギリウスにそう言われ、ダンテは涙を流しながら決意します。
「私、ダンテは我が命、我が心、全身全霊を注いでも使命をまっとうします!!」

そして、いよいよ…地獄の最下層、コキュートスのある第九の圏へ…