引き続き、永井豪によるダンテ「神曲・地獄篇」です。
母国を永久追放され、流浪の旅に出たダンテ。獣に襲われそうなところを実在した偉大な詩人、ヴィリギリウスに救われ、彼の案内で地獄巡りをすることになります。ここでちょっと…思い出したことが。
あの、トンデモ映画、石井輝男「地獄」の主人公、宇宙真理教(オウム真理教がモデル)信者のリカも、閻魔大王の側近である魔子の案内で地獄巡りをするんですね。何気に「神曲」取り込むとは…さすが、巨匠。

そして、いよいよ…地獄巡りが始まります。

地獄はすり鉢状の巨大な穴になっていて、地獄の各層が階段状に取り囲んでいます。地獄の構造は、『第一の圏(たに)』から最終の『第九の圏』まであり、降りていくほど闇は深く、罪は重くなります。



ボッティチェルリ、地獄の図 c. 1490年

さてさて、地獄ツアーの始まりです。
地獄門を入るとすぐ、激しい叫び声、呻き声…が。彼らは地獄の責苦を受けるでもない、ゴロゴロと芋洗いのように転がされ、無為に時を過ごしています。ヴィリギリウスが言います。
「神に仕えるでもなくそむくのでもなく、自分だけ良ければ良いと自堕落に人生を無駄に生きた者共だ!」と。
「やつらは天国へも地獄へも入れてもらえない!この地獄の入り口付近で永劫の時、嘆きさまようのだ!!」
天国、地獄に入れなければ、本当に死んだことにはならず、生まれ変わることも出来ません。永久に無為の時を過ごす…まさに、地獄…。
ヴィリギリウスの次の言葉が胸に刺さります。――「大切な人生を無駄に生きた報いがこれだ」
アブやハチに裸の体を刺され続け、目も耳も刺され、見えなくなった目から血の涙を流し、他人を羨みながら地獄とこの世をさ迷い続ける…。
ああ、恐ろしい…。ただ、悪いことをしなければいい、ってものでもないんですね。厳しいな〜。
「これが、まだ地獄ではない…境界にすぎないというのか…」
ダンテも震えます。そこへ、地獄の渡し守、カロンが、川から亡者供を櫂で追いやり、地獄舟に乗せていきます。ヴィリギリウスがダンテを連れて舟に乗り込もうとするのを、「おまえ(ダンテ)は生きているじゃないか!?」――恐ろしさのあまりダンテは気を失います。「気を失えば死者も同然!」と、ダンテはヴィリギリウスとともに地獄行きの舟に乗ります。

第一の圏 辺獄(リンボ)―叫び声も争いもないながら、ただ亡者が無気力に時を過ごしています。 キリスト教の洗礼を受けなかった者が、呵責こそないものの希望もないまま永遠に時を過ごします。
次には、冥府の裁判官ミーノスが死者の行くべき地獄を割り当てています。ヘビのような尻尾で亡者を打つと、罪の大きさによって尻尾が亡者を何巻きかする、たくさん巻かれた者ほど罪が重く地獄の深い層に追いやられます。
第二の圏 愛欲者の地獄 ― 肉欲に溺れた者が、荒れ狂う暴風に吹き流されます。「あくなき情欲に身をまかせ愛をむさぼるあまり、世に災いをもたらせた者達」――ここにクレオパトラがいました。
第三の圏―貪食者の地獄― 大食の罪を犯した者が、地獄の怪獣、ケルベロスに引き裂かれて泥濘にのたうち回る。三つの頭をもつケルペロス――「一つの口では飽き足らず、三つの口で手当たり次第に何でも食らう。…生きている時のあさましい本性の者があさましい怪獣のエサにされる」ヴィリギリウスは言います。「大食漢は罪人なり。大食いの陰に飢える者がいることを忘れるな」
ケルペロスに食われた身体は泥となって排出され、泥から再び人間に戻り、またもケルペロスに食われる苦しみを繰り返します。
第四の圏 貪欲者の地獄― 吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る。「金で運命が買えるなどと思った挙句の果てが、あのザマだ!」
第五の圏 憤怒者の地獄 ― 怒りに我を忘れた者が、黒き沼、ステュグスで互いに責め争う。「この地獄においても怒り合い、相手をどこまでも傷つけ合う」「沼から上がる泡に、不平不満、小言雑言、罵倒…が聞き取れるだろう」「不満を自分を磨く糧として世に向かった者はここには来ない!」
矢のような速さで小舟が来ます。
スチュグスの沼の渡し守、フレギュアス。「きさまら悪人共をもっと恐ろしい地獄へ連れて行ってやるぞ〜っ!」ヴィリギリウスが言います。「天の意志で地獄を渡るダンテと私を向こう岸へ黙って渡せ!」「なまいきなやつらめー!これからの地獄は見るのもつらいぞ!!
やがて、ヴィリギリウスとダンテはデュースの町に着きます。デュースの町とは…。
まるで戦場のように城の上空が真っ赤に輝き、これは、城の中で罪人を焼き焦がす永劫の火の色だと。「生きてる者はここへ来るな〜!」「地獄は生きてるやつの見世物じゃねーぞ!」亡者が叫びます。ひるむダンテを「引き返したければ引き返せ!」と突き放すヴィリギリウス。城内に入ったものの門は固く閉ざされ、そこへ降りてきたのが天使。
天使は亡者供に叫びます。
「天を追われし者共!なぜ何度も叛くのだ!?なんど痛い目にあえばわかるのだ!?」
――そして、門が開きます。地獄の第二の門が…。
永井豪の絵、ド迫力です。思い入れたっぷりの「神曲」、仕事の依頼が来た時には、長年の夢がかなう喜びと「ついに来たか」という運命的な思いに、とても緊張したとあります。
また、描きながらこの神曲」は、エンターティメントとして実に面白い構成になっている、と改めて感心したそうです。全くその通りで、全編、暗く重く「地獄」を描きながら、読者を引きずり込んで飽きさせません。地獄の構造、亡者達の罪と罰、地獄界に住む渡し守カロン、裁判官ミーノス、怪獣ケロベロス恐ろしいながら魅力的なキャラクターが次々に登場します。一種の「レジャーランド」に思えなくもない。一方で、ひとつひとつ、細部にいたるエピソードまでが、哲学的、芸術的なんですね。エンターティメントの中に、歴史、神話、宗教…様々な要素が重層的に塗り込められている。「地獄」なのに、目を背けず、引き込まれてしまう。映像的で美しい。神曲」が多くの画家のテーマにされたのも道理。
(*゚▽゚)*。_。)*゚▽゚)*。_。)ウンウン
本当の「地獄」はこれからです(/-\*)