永井豪によるダンテ「神曲」(5)

皆さま、暑中お見舞い申し上げます<(_ _*)>
「暑い…( ̄▽ ̄;)」は言うのも聞くのも飽きたので、今日はちょっと涼しくなるお題にしようかと思います。はい、永井豪のダンテ神曲「浄罪篇」です。「地獄篇」については、永井豪による「神曲」(1)(2)(3)(4)6/8、6/11、6/14、6/18をご参照くださいm(_ _)m

――煉獄界で身を浄めることが浄罪である。
「煉獄で罪を浄める人々の姿を見届けるのだ」
ウィリギリウスに言われ、「地獄」を巡ったダンテは「煉獄」を旅することとなります。

ここで吉報です!
「地獄篇」を読んだ私、永井豪の絵の迫力もあって、もう、地獄が怖くて怖くて怖くて…
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
「地獄」なんて、あったとしても、極悪人が堕ちるはず、と思っていたのに、そうでもない。
キリスト教の洗礼を受けていない
・人生を怠惰に過ごした
「愛欲」に「貪食」「貪欲」「憤怒」…心当たりがあったとしてもおかしくない。
それが、
煮たり焼いたり、切られたり…まるで料理されるみたい(;゜0゜)
それが、エンドレス…。煮溶け、燃え尽き、バラバラに切り刻まれ…ても、また元通り復元して、地獄の苦しみが続く。
「死」という「終わり」がない。
これが、地獄。
((((;゚;Д;゚;))))カタカタカタカタカタカタカタカタカタ
まぁ、これは「小説」やから大袈裟に書いたぁんねやろ…( ̄へ  ̄ 凸と思う私に、聖書を紐解けば…。
「汝 姦淫するなかれ」(異性に淫らなことを思ってはならない)
「汝 殺すなかれ」(相手に「バカ」とさえ言ってはならない)
キリスト教以外を偶像崇拝しただけで、

燃えるゲヘナ(地獄)へ投げ込まれる。
これって、地獄へ堕ちないのは、
聖職者だけ(それも選ばれた)やんけ〜

アセアセo(^^;o)Ξ(o;^^)oΞo(^^;o)Ξ(o;^^)o♪

みたいな。
牧師夫人である瑛子さんの生き方を見ても、まるで妥協がありません。
それでも、
最後の審判で神に選んでもらえるか不安」だと…。

この際、天国は望みません。でも、
地獄にだけは堕ちたくない!!!

とず〜っと思っていました。
救いのないのはイヤ!せめてせめて、何処かに救いの道を!
だって、どんな者にも「赦し」を与えるのが神ではないの〜???
ゴルゴダの丘でイエスが十字架に掛けられた時、一緒に掛けられた罪人を、「私と一緒に天国へ行くのだ」ってお救いになったではないの…。
そして…。

「ダンテよ、煉獄は地獄とは違う。地獄が犯した罪の罰を受ける所なら、煉獄は自ら罪を浄める場だ」
「自分の罪に気づいた者が自ら罪を浄めて道を探る旅が煉獄の旅だ」

煉獄界は、悔悟に達した者、悔悛の余地のある死者が罪をあがなう所だそうです。煉獄山の構造は、下から昇るごとに幾つかの段階に分かれていて、亡者は煉獄山の各階梯で生前になした罪を浄めつつ上へ上へと登り、浄め終えるとやがては天国に到達します。
なんだ…。
こういう所があったのですね。大罪も犯さないけど、天国へ迎えられるほど清廉潔白にも生きてない私は、この「煉獄」くらいが相応のような。仕方ない。無期懲役でなく、有期刑なら、そして、刑期を終えれば天国が待っているなら、模範囚になれるよう、せっせとお勤めに励みます。その上、煉獄山は上へ登るほど、楽になるとのこと。

あ〜よかった(*゚▽゚)*。_。)*゚▽゚)*。_。)ウンウン

そして、吉報、その2。
死の直前、罪を悔い改めた者は、地獄行きを免れるとのこと。
党争で深手を負い、息絶える間際、「マリア様の名を唱え、胸に十字を切った」者が言います。
「私の魂が体から離れたその時…すでに恐ろしい地獄の使いが私を連れて行こうと待ち構えておりました。しかし、あぶない所で天使がきて、私をかばってくれたのです」
映画やテレビでもよく見ますね。死刑囚が刑の執行直前、牧師を前に神に祈りを捧げる。これって、気休めではなく、こういう意味だったのか、と思いあたりました。
さすが、キリスト…
":*・゚☆.。.:*・゚£(。・""・)o[†...Thanks...†]o(・""・。)β。.:*・゚☆.。.:*"