祈り(3)

林受刑者は、地下鉄サリンの散布役として、唯一死刑を免れます。(無期懲役
その要因としては、まず、自首であったこと。彼は自転車を盗んだ容疑で逮捕され、拘束中に自白します。この時警察は林受刑者が実行犯だとは思っていなかったようです。
そして、林の全面自供によって、地下鉄サリン事件の全容が明らかになったこと。それ以前には、有力な情報がありませんでした。また、遺族・被害者側が「悔悛(反省、悔いる気持ち)の情がある」として、必ずしも林の死刑を求めなかったことなどだったようです。
2月5日、林郁夫受刑者は高橋克也被告の裁判員裁判に証人出廷しました。
検察官から事件の思いを聞かれ、
「医師の知識や経験を使い仮谷清志さんを死亡させ、ご家族に表現できないつらい悲しみをさせ本当に申し訳ない」
と涙ながらに答えます。
地下鉄サリン事件から二十年、刑務所で68歳を迎えた林受刑者。有名デザイナーの姪だった妻は、旧姓に戻っていることからすると、獄中離婚したのでしょう。(妻は執行猶予)
仕事、家族、財産、地位…すべてを、木端微塵に砕かれて…、林受刑者の胸に去来するものは何なのでしょう?
死刑が免れたといっても無期懲役。仮釈放で娑婆に出たところで、開放感なんてあるのでしょうか…?
医師の免許は剥奪されています。
親(存命なら)兄弟…に会いたいと思っても、相手は会ってくれるのでしょうか?
そして…一男一女の2人の子どもは…?
まるで、「生き地獄」
いっそ、死刑を求刑され、「終わり」の決まっている方が、林受刑者には楽ではないのか…?
現在の林受刑者は、刑務所の中で朝と晩、サリン事件の被害者の名前を唱え、謝罪していると報道されました。その数、3000人以上。
「事実は小説より奇なり」の凋落の人生…に、衝撃を受けました。
「罪を犯すから罪人なのではありません。罪人だから罪を犯すのです」
私の通う教会の宣教師の言葉です。これは、どうしてこんな人が…?(こんな罪を犯すの?)」という問いに、見事に答えてくれました。
林受刑者が、聖書の神様と出会うこと、
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」
詩篇34・18)
林受刑者の、魂の救いを祈ります。