我を通りて嘆きの街へ
我を通りて永遠の罰
我を通りて罪多き
地獄の民への集う街へ
なにも我より先に無く
なにも我より後に無し
いっさいの希望をすてよ
我が門を過ぎる者

地獄の入り口、「地獄門」に刻まれた文字です。一言一言が重く、胸に響く。「嘆きの街」「永遠の罰」…美しくも恐ろしい、そして魅力的…。悪魔が門の向こうから笑ってる。入る勇気はないけれど、どんなところか、好奇心をくすぐります。
作者兼主人公のダンテは、ヴィリギリウスの導きで地獄を旅することになります。それが、ダンテ「神曲」の地獄篇です。永井豪によるダンテ「神曲」地獄篇を読み、それを元に書きます。
ダンテはイタリア、フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。特にイタリア文学最大の詩人とされています。1300年代初頭、ダンテはフィレンェツェの政治抗争に破れ、フィレンツェを永久追放(破った場合は死刑)になります。1302年からダンテの流浪の旅が始まり、この「神曲」の執筆にはいったのは1307年とされています。
神曲」の主人公が作者であるダンテ、その人であるように、「神曲」には有名、無名の実在の人物が多数登場し、物語にリアリティを持たせます。クレオパトラが地獄の責め苦を受けてたりします)
地獄篇、冒頭…人生に絶望して黒き森をさまようダンテ。森を抜けたところで、3匹の獣、豹、ライオン、狼に襲われそうになります。豹は、色欲、無節操。ライオンは暴力、権力。狼は物欲、陰謀を。暗く深い森は罪の深さを象徴しているそうです。ダンテは追い詰められ、再び森に引き返すしかないところへ、救世主として現れるのがヴィリギリウス。ヴィリギリウスは実在したローマ時代最大の詩人の一人。
ヴィリギリウスはダンテに言います。
「私がおまえを地獄へ導いていこう。地獄を廻る旅へ、おまえを連れていこう」「そこでおまえは、絶望の悲しい叫び声を聞け!」「地獄のありのままの姿を見るがよい!」
ヴィリギリウスは、実は死んで煉獄にいる人なんですね。煉獄とは、天国と地獄の間にあり、死者の霊魂が天国に入る前に火によって浄化する場所。つまり、ヴィリギリウスは天国へ行けるのを引き返して、ダンテを地獄へ連れにきたわけです。一体、なぜ…?それは、天国から一人の美しき淑女がヴィリギリウスを呼んだのだと。その淑女の名はベアトリーチェダンテが9歳の時に会った初恋の女性であり、ダンテの生涯を通じての理想の女性。ダンテの詩人としての才能を開花させたものの、25歳の若さでこの世を去ります。
この設定…。例えば、
放蕩の果てに生き詰まった太宰治が、夏目漱石に「地獄のありのままの姿を見るがよい!」などと言われて地獄巡りをするなんて、想像しただけでワクワクしませんか?漱石は死んで煉獄に居て、太宰の初恋の女性に呼ばれて降りてきた…なんて、内容はグロテスクでもエンターティメントで楽しめそうですよね?誰か、やってくれないかなぁ。今なら、村上春樹あたり!ヴィリギリウスは三島由紀夫なんてどうでしょう?あ、三島は自殺してるから地獄行き。従ってムリ。…なんて、ついつい興奮してしまいますが…。ダンテはこの地獄篇を1307年から1310年にかけて書いたと言われています。「地獄篇」を書きながら、虚実皮膜で「地獄」をさすらったのでしょう。ダンテが政変に破れ、母国を永久追放されたからこそ、「神曲」は誕生したのではないでしょうか。

神曲への道」という、永井豪の後書きによると、永井豪が「神曲」に出会ったのは、自宅にあった「ダンテの神曲物語」という子供文庫だったそうです。作者、永井はようやく字が読めるようになった年頃。旧仮名遣いの読みにくいものだったけれど、中に使われていた挿絵に目を奪われ、それを理解したいがために難しい文章に挑戦したと。その挿絵は、19世紀の天才的版画家、ギュスターヴ・ドレの作品。その緻密さを極めるドレの手法に、永井は子供ながらに魅了されてしまいます。中でも特に、「地獄篇」の絵に惹かれた。――永井豪の早熟さ、才能をうかがうことが出来ます。そして、ダンテ「神曲」を幾度となく読み返したことで、「天国」や「地獄」がリアルな世界となったと言います。
「本来ムチャクチャな性格の私が、『悪いことは絶対にしまい』と心に誓い、まともに生きて来られたのは、少年時代に『神曲』に触れられたことが大きかったかもしれない」と…。
太宰治ではなかったかと思うのですが、子供の頃、ばあやに連れられてお寺の地獄絵図を見せられた。嘘をつけば閻魔様に舌を抜かれる、罪人は火あぶりにされたり針地獄に置かれたり…怖くて怖くて仕方なかった…と。子供時代に「地獄」の刷り込みをすれば、少なくとも「酒鬼薔薇」みたいな少年は育たなかったかもしれません。

「マンガ家として、自分の作品上に、イマジネーションを大きく膨らませていかれるのも、少年期にこうした幻想の世界を我が物にできたことが、大きく作用していると思う」ともあります。
永井豪魔王ダンテ」「デビルマン…などは、この「神曲」の影響を感じさせるし、だからこそ、「古典」なのだと思います。ピーター先生が盛んに「古典を読みなさい」と言われるのも道理…と納得しました。本当に、「古典」というのは、様々な要素を孕み、時代の別なく通用するものだと思います。
勉強しなきゃ…!
神曲」地獄篇については次回に…つづく。