「がん」という冒険(92)

不思議なことに、がんは私にとって「試練」ではなかった。もちろん、不安や恐れはあったが、すべて守られ、信じられない喜びと感謝の連続だった。

「不安で眠れない」ことなどなかったし、スキンヘッドになってもウィッグを楽しめた。「抗がん剤の苦しみ」もまるでなかった。素敵な出会いと未知なる経験の連続は、文字通り、「がん」という冒険、だった。

がんを通して、主が「私はここにいる」と語ってくださった。語り続けてくださった。そうして、主がおられることを伝えるために、私はがんを与えられたと思っている。私は伝えたいし、伝えずにはいられない。

このブログをつたないながら更新しているのも、そのような思いからである。

 

去年の6月に乳がんの手術を終え、再発・転移予防のための抗がん剤治療に3週間ごとに今も通っている。そうして、ちょっと困ったことになっている。この治療は残すところ3回。つまり、4月には終わる。それが、とても寂しい…のだ。

同時に、私がこの病院でイエス様をお伝えする期限も迫っているわけである。

担当医のよしみドクターには、がんを宣告された折に、

「私には信仰があるので、死は終わりだと思っていません」

と言うことができたし、病院宛にクリスマスカードも出した。信仰のある者として恥ずかしくないよう、言動を心がけてもきた。

そして、もう一人、是非ともイエス様を紹介したいとマークしていた人がいた。過去のブログにも登場した、ケモ(化学療法=抗がん剤治療)室で親しくなった☆看護師である。当時から不思議な出会いだなぁ、と思っていたが、ブログを読み返すと、やはり不思議だ。

 

ケモ室にはカーテンで仕切られたソファが並んでいて、患者は抗がん剤の点滴を受ける。何時間も受ける。患者で混み合うこともないし、看護師が頻繁に出入りすることもなく静かである。

親しくなったのは忘れもしない。術前の抗がん剤治療が終わりを迎える頃だった。胸につけた名札が沖縄によくある名前だったので、私が「沖縄の方ですか?」と聞いたのがきっかけだった。何の話をしていたのか、「玄米餅がおいしい」と言われ、私はスーパーで玄米餅を見つけた時、買って食べ、それを次にケモ室で☆看護師に会った時に話したのである。

玄米餅を買った話をしようかどうか、その時の私は迷っていた。ただ、診察室でよしみドクターに玄米餅の話をしたらウケたので、どうせなら…と☆看護師にも言ってみた。すると、☆看護師は「玄米餅」のことを私に話したことを覚えておられ、そこから一気に身の上話になった。☆看護師は60代(?)

私はただ点滴を受けているだけだから、いくらでも聞き役はできた。どうして私にこんな話をするのか不思議に思いながら、

私ががんなのに明るいからかなぁ?

話を聞きながら、

この人にはイエス様の話ができる。

と思う。つまり、聞く耳がある」のである。これが術前、最後の抗がん剤で、手術目前というテンションの高さもあったのだろう。決しておしゃべりではない私が、まるで機関銃のようにまくしたてた。

以下、「がん」という冒険(36)より、

 

がんだった夫、父親をがんで喪い、ケモ室で抗がん剤治療を受ける患者と向き合いながら、子どもらも自立して☆看護師は日々、どのような思いなのだろう…。おそらく、ただ事ではない。

私は言った。

「2人に1人ががんになって、3人に1人ががんで死ぬ、とかいわれますけど、『がんにならなければ死なない』わけじゃない。そういう意味で、がんという死に方もあると思うようになりました」

なんとまぁ、ケモ室の看護師相手にえらそうなことを言えたものだと思うが、☆看護師は真面目に聞いてくれた。イエス様のことはまだだが、この人ならきちんと聞いてくれそうだと思う。

次にお会いするのは手術後の治療である。

「行ってきます(^.^)/」

と笑顔で別れた。

 

そうして、術後、私はケモ室に帰ってきて、☆看護師とは一層、親しくなった。Line交換するようなことはなかったが、

この人には、是非、イエス様をお伝えしたい。

と思い、エス様から、その御用をまかされたように思っていた。しかし、

看護師と患者である。病院である、看護師は勤務中である。

どのようにすればいいのか…?

祈り続けた。

そして、今日、その祈りは見事に聞かれた(かなえられた)。

(つづく)