「がん」という冒険(93)
☆看護師には、イエス様をお伝えするのにお渡しするつもりの本があった。93歳の姉妹が書かれた証(あかし=自分がどのようにしてイエス様と出会い、どのような恵みを受けたかなどを語るという業界用語)の本(自費出版500円)で、これを20冊注文して色んな人に贈った。
実は前回、つまり3週間前の治療日にお渡しするつもりでいたのが当日、ケモ室に☆看護師ともう一人看護師がおられ、渡すのをあきらめた。
☆さんは週に3日のパート勤務で毎回、お会いできるわけではない。だから、あと3回、ひょっとするとお渡しできずに治療が終わることもありえるなぁ…と心配になっていた(一一")
しかし、それはそれ。祈り続け、祈り会でも多くの姉妹に祈ってもらってきたことだから、渡せなければ主に別のご計画があるのだと思うことにした。
ところが…診察終えてケモ室に移動すると、
☆看護師がおられ、他にはいない。カーテン越しのソファに女性患者が一人いるだけだった。
(*^^)v( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(*^^)v( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○
手術前に知り合い、手術後に親しくなった☆看護師。深刻な身の上話をされたので、深い悩みを抱えた人かと思っていたのだが親しくなると、明るくておしゃべりで、とても気さくな人だとわかった。
長年がんを患ったご主人と、今は二人暮らし。ご主人は車椅子で介護も大変らしい。それを聞くと信じられない明るさである。このケモ室にしても、親しくなった患者が亡くなることもあるだろう。
それについては、「仕方ないよね」。確かに、仕方ないのである。ただ、看護師になって初めての勤務先ががんセンターの小児科で、今と違って、がんの子どもたちがどんどん死んでいく。まだ独身で子どももいなかったから何とかなったが、自分に子どもがいたら、つらくて耐えられなかっただろう、と語られた。
ご主人が転勤族で地方の病院を転々としたこともあったが、いつも職場に恵まれ楽しくてしかたなかった。激務ではあっても、やりがいもあり、看護師を選んでよかったと今も思う。こんなふうに人生を振り返って語れる人は、そうはいない。
☆さんとの別れが近いこともあり、私も語りに語った。浴室で胸にしこりを見つけてから、検査するまで9ヵ月かかったことから、誰にも相談せず、イエス様だけに救いを求め導きを祈った。そうして悩み苦しみから見事に解放され、喜びと感謝に満たされた。がんの検査結果を聞く時も、待合室で「私は天国行きの切符をもっている」と確信できたことで平安だった。
今も再発・転移のリスクも不安もある。しかし、逆にそれは「命」を日々、実感しながら暮らすことであり、悪いことではない。☆さんもうなずかれた。
実際にがんの治療を受ける私を見ている☆さんに、私の証(あかし)はどのように聞こえただろう?
カーテン越しに治療を受けている女性が、私よりも長く点滴されていたら本を渡しにくいなぁ、と思っていたが、私より先に治療を終えて帰られた。
やった~(^。^)y
「一人でも多くの人にイエス様をお伝えしたくて、私はイエス様を紹介するためにがんになって、この病院に来たのだと思っています」
ということができた(*^^)v
我ながら完璧である。
そして、本をお渡しした。
「いいんですかぁ~?」
福音の種まき。
まくだけまく。後はどうなるか…イエス様にお任せである。
何人もに配ったあの本は、配った数に比べると返ってきた反応は少ないが、そんなこと、わしゃ知らん( `ー´)ノ