「がん」という冒険(25)
月一祈り会である。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
(マタイの福音書 11‐28)
礼拝や祈り会というのは、どういうところかというと、
主の前に重荷を下ろすところだと思う。
苦しみも悩みもない人は、あまりそういうところへは行かない。
自分のなかにわだかまる、思いや不安、苦しみ…を「祈り」というかたちで主に告白する。また信仰をともにする兄弟姉妹に聞いてもらい、祈り合う。
ともに祈ってきたことが主によって解決された報告を聞き、喜び合う。
そうすることで、行きは重石のように重かった心が、帰りには真綿のように軽くなっている。
主を信じる(信仰がある)ということは、問題を自分で何とかしよう、とすることでなく、主におまかせする。明け渡す、ことである。
だからもう、主が何とかしてくださる、わけであって悩む必要はないのである。
祈りの結果、出た応えが自分の思いと違っていても、主の出された応えは最善、と受け入れる、そこに忍耐が生まれる。忍耐は人を磨き、成長させる。
たとえば、祈りの結果、娘αが◎大学に入学した。βが寮に入ることになった。
どちらも、私の思いではなく祈りの結果、導かれたことだから、
あとは主が何とかしてくださる。
心配するのは不信仰である。
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また、兄弟姉妹の間で「祈りの連鎖」というのがあって、たとえば、αが◎大学に入学できた背後には、私の想像を絶する多くの祈りがあったのである。
この月一祈り会の4人の姉妹には、私のがんのことを打ち明けている。誰もおせっかいなことは言わず、私の身を案じながら静かに祈ってくださっている。
私の抗がん剤治療も6回を終えて、残すところ後2回となった。今月下旬に7回目、来月初旬に8回目…。
そうして、入院、手術となるため、来月の祈り会には出られるかどうかわからない。抗がん剤治療が始まって、休まずに出られたことは本当に感謝なことだ。毎回、姉妹方に元気な顔を見せられることが喜びだった。
この姉妹方の中に、看護師だった姉妹がおられる。来月(?)に手術が迫った私が今、一番気になっていることをこの★姉妹に聞いた。
「手術の時って、カツラはどうすればいいんですか?」
今はハゲ頭に少~し髪が残っている。人目にはさらしたくない哀れな状態である。
「手術の時には、余計なものはいっさい、つけません」
「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」
「ましてや、手術室は衛生第一だから、カツラなんて…」
「ハゲ頭で手術受けるんですか( ;∀;)」
「でも、事前に言っておけば、姉妹が麻酔から覚めた時にはカツラをつけておいてもらうことはできる」
「(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!」
顔が知られているわけでもないし、自意識過剰であろう。私の手術に何人の医療スタッフが立ち会うのかはわからないが、覚悟を決めるしかない。それどころではないのだ。
「心の準備をします」
「そうだね~」
年頃の娘でもあるまいし、医療スタッフだってがん患者のハゲ頭なぞ見慣れているだろう。腹をくくるしかない。
次に、
「手術が部分切除の場合、医師から術後は放射線治療と言われたんですけど…」
「?」
「なんか怖くて……」
放射線治療…「抗がん剤治療」と等しく、何やら物騒な響きで怖い。よって、自分から調べる気がしなかった。★姉妹は放射線治療による「被ばく」の説明後、「抗がん剤治療」同様に副作用には個人差がある、と語った。怖くても、放射線治療が「治療」という名目で行われるものなら拒むものではない。後はじっくり調べてみよう。
なお、私は後半の抗がん剤には毛髪が抜ける副作用はないものと勘違いしてしまい、がっかりすることになった。抗がん剤治療が終わっても、放射線で脱毛の副作用があるかもしれず、そうなると年内はカツラが必要では…と言われた。……いたし方ない。
最後に、
「夫が、私のがんについて、『手術がいつ頃になるか』など、何ひとつ聞こうとしないのが怖い」
と言った。姉妹方の意見は、
単に(私に)聞くのが怖い。
私からの報告を受け入れるのが精いっぱい。
ということだった。他の人に聞いても同じような答えだった。「がん」というのは、やはり怖いものらしい。
夫には何も期待しなくなったし、病院に付き添ってもらおう、と思ったこともないが、いざ手術となれば、書類にサインするのは夫だろうし、手術に付き添うのも夫だろう。
心配するどころか「ハゲババア」と言われた夫に付き添ってもらっても「平安」はないが、それも祈るしかない。
夫で忍耐せよ、と主がいわれるなら忍耐するしかない。
無駄な抵抗をする気はない。
主におまかせである。