「がん」という冒険(36)

そんなわけで、私は気さくな看護師から「美味しい」と教えられた玄米餅をスーパーで見つけたので買った、と話してドクターにウケ、診察室はなごやかである。

全く不思議な病院である。医療法人の基幹病院(大病院)で、こんなふうに担当医とゆっく雑談や冗談を言いながら向き合えるというのは。

予約していても待合室で何時間も待たされ、往復時間も入れれば半日がかり。それでも診察時間は10分に満たない、というのは珍しいことではないはずだ。

 

いつぞやは私がよしみドクターから血管をほめられ(素直な血管)、「私の血管なんて埋もれてますよ」と白衣の腕をめくって見せてくれた。確かに肉に埋まって血管が見えない。肥満というのではないのに血管が見えないのだ。「子どもの頃からこうです」――。これは注射する方も大変だが、される方もたまらない。人には色々な悩みがあるものだと改めて考えさせられた。

 

よしみドクターだけがどう、というのではない、この病院自体がアットホームでストレスがかからない。

診察室を出るとケモ室Chemotherapy(ケモセラピー)」抗がん剤を用いた「化学療法」を行うところに移動する。ソファのようなものが並び、そこで点滴による抗がん剤治療を受ける。(2~3時間)

抗がん剤というのは、がん細胞を死滅させるのが目的だが、強力な薬剤であるため健康な細胞まで破壊する。

今の私は毛髪どころか眉毛に睫毛までなくなり、手足もツルツルである。これは抗がん剤の副作用として当然のものらしい。抗がん剤(の種類にもよる)治療を受けながら髪の毛がふさふさなら、それは異常なのだろう。治療を受けながら、看護師や薬剤師に副作用の度合いをよく尋ねられるが、私は毛髪や体毛が抜ける以外の副作用はとくになく、これは珍しいようだった。

この病院の医療従事者は、みな親切で気さくなのだが、わけても「玄米餅がおいしい」と教えてくれた☆看護師は衝撃的だった。勤務中に「玄米餅」である。いきなり「玄米餅」ではない。子どもが2人いて夫が転勤族で…と身の上話のようなことをされた。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

そして、その☆看護師はこのケモ室の看護師で、この日、

私の担当だった。

この緊張感は何なのだろう。

☆看護師と個人的な話をするようになったきっかけを私は覚えていた。☆看護師の名札にあるのが沖縄に多い名前で「沖縄の方ですか?」と何気なく聞いた。

☆看護師は、出身、生い立ち、家族~「夫が転勤族」~「玄米餅」~。どのような展開で玄米餅になったのか定かではないが、私が尋ねもしないのに次から次へと身の上話のようなことを聞かされた。

勤務中に患者に身の上話をする看護師。

は衝撃的だったが、中でも「玄米餅」のインパクが強かった。

最後の抗がん剤治療である。玄米餅を買って食べたことを言おうか言うまいか?

仮にも勤務中である。気安く「玄米餅食べました(^.^)」というのは不謹慎かと思う。

一方で、診察室で玄米餅のことでウケたことを思う。言えば喜んでもらえそうな気がした。最後の抗がん剤治療(術後に再発防止のための抗がん剤治療もあるらしいが)で来月手術だし…。

点滴を取り換えてくれる☆看護師に、私は軽い気持ちで言った。

「玄米餅見つけたので買いました」

すると、

「(話したのは)前々回の抗がん剤治療の時ですよね?」

驚く。というより、ちょっと感動した。1か月半も前である。あたりまえかもしれないが、患者にむやみに玄米餅の話をするのではないのだ。そうして、最初に名前のことで話しかけた時と同じように、☆看護師は私が尋ねもしないことを次々と話し出した。

転勤族の夫はすい臓がんで2人の子育てをしながらの介護は大変だったこと。大変だったが近所のお母さん達がとても力になってくれて助かった。

子どもはもう社会人で孫もいるらしい。どうして、私にこんな話をするのか混乱しながら聞いていた。確認はしなかったが、すい臓がんだったご主人は亡くなったのかもしれない。

そして、母親はまだ生きているが父親はがんで亡くなり、自分もおそらくがんになるだろう、と言う。

私はただ、抗がん剤の点滴をされているだけだから、話はいくらでも聞ける。聞きながら、要するにこの人は、抗がん剤治療を受けながらも平気で元気な私が気になり、話がしたいのかと思う。

最後の(術前の)抗がん剤治療という気分の盛り上がりもあり、私はストレスやリスクを感じなかった治療や病院への感謝、退院後に予定されている娘達の成人式の前撮りのことまで話した。無口な私がマシンガンのように話し続ける。義母が染めてくれた着物で私も一緒に写真に入ることを言うと、

「写真見せてください」

と念を押される。着物が好きらしい。

 

がんだった夫、父親をがんで喪い、ケモ室で抗がん剤治療を受ける患者と向き合いながら、子どもらも自立して☆看護師は日々、どのような思いなのだろう…。おそらく、ただ事ではない。

私は言った。

「2人に1人ががんになって、3人に1人ががんで死ぬ、とかいわれますけど、『がんにならなければ死なない』わけじゃない。そういう意味で、がんという死に方もあると思うようになりました」

なんとまぁ、ケモ室の看護師相手にえらそうなことを言えたものだと思うが、☆看護師は真面目に聞いてくれた。イエス様のことはまだだが、この人ならきちんと聞いてくれそうだと思う。

次にお会いするのは手術後の治療である。

「行ってきます(^.^)/」

と笑顔で別れた。